旅・宿・移住

2007/08/04

永遠のモダン〜京都・吉田 重森三玲の庭

京都観光をしていて、「あ、このお庭いいなぁ」と思ったお庭の作者を調べてみると、ある人物に行き着くことが多々あると思われます。それが、重森三玲(しげもりみれい)。
力強い石組みと鮮やかな苔で構成される枯山水の庭は、最近では液晶テレビのCMなどにも登場し、改めてその功績が見直されています。最終回は、私のお気に入り・重森三玲氏の旧宅をご紹介します。

 東福寺の方丈で、白角石と緑鮮やかな苔が市松模様に構成されたお庭をご覧になったことがありませんか?大徳寺の塔頭・瑞峯院で、キリシタン大名だった大友宗麟にちなみ、石組で十字架を表しお庭をご覧になったことがありませんか?また、松尾大社でニョキニョキと地面から大きな石が多数生えてくるような、それぞれ趣の異なる三つの庭を訪れたことはありませんか?
 いずれも水を用いずに、白砂や石で構成された枯山水庭園であるために、きっと室町時代か安土桃山時代のものなのかなぁと思いきや、これらのお庭は明治、大正、昭和を生きた名作庭家・重森三玲(しげもりみれい)氏によるものだったのです。

 三玲氏は、明治29(1896)年生まれ。昭和50(1975)年に亡くなるまで、国内に約200もの庭園を作庭しました。「三玲」というユニークな名前は、フランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーに因んで改名したそうです。
 若くして茶の湯に心を寄せ、また前衛いけばなを提唱するなど、多方面で活躍し、また1935年からは、全国の名庭の実測調査を独力で進め、貴重な資料を体系的にまとめるという偉業も成し遂げています。

そんな三玲氏の旧宅(書院庭園部)が、2005年の秋から一般公開されています。
場所は、京都大学のお膝元、左京区吉田で、旧宅の書院と庭園部分は現在、「重森三玲庭園美術館」として見学可能になっています。
 
元々は、すぐ近くにある吉田神社の社家であった格式高い鈴鹿家所有のものでしたが、昭和18(1943)年に縁あって三玲氏が譲り受けたそうです。江戸期の建造物のほかに、三玲氏自身が新たに設計した二つの茶席や、書院前庭などが加わった、時代を超えた融合感を楽しめる場となっています。


門構えからしてどっしりとしていて圧倒されるのですが、庭園への門をくぐるとそこに広がる「三玲ワールド」にはきっと皆さん思わず息を呑むことでしょう。
 



目に入ってくるのは、やはり苔むした大地からニョキニョキと生えてきたような力強い石組みの数々。そして、庭の周りを囲む大木は、日常の喧騒にカーテンをひいてくれるようです。

 第一歩目から印象的なのですが、しかし、庭先で立ち止まって見ることなかれ。まずは、書院に上がらせていただきましょう。そして、部屋の奥、床の間の前に座して、前庭を正面から眺めてみてください。

どこかで見た景色ではありませんか?
そう、これが、あの液晶テレビのCMで吉永小百合さんが佇んでいたあの庭なのです!
庭に配された青い石は、遠く四国から運ばれてきたもの。三玲氏の言葉に「石に乞わん」というものがありますが、これらの石が「石の声に耳を傾け、石が望むままに立ててもらったんだ」と思うと、石が生き生きして見えてくるから不思議です。
そして、この庭も、とても「日本的」で、しかしそこに「モダン」を感じるのは何故なのでしょうか。

 三玲氏は、よく「永遠のモダン」という言葉を好んで使われたそうです。昨今は、特に時代に迎合した流行はすぐに廃れてしまう目まぐるしい世の中ですが、時代を超えて常に新しさを感じさせる、「寂びないモダン」、それこそが三玲氏の目指した世界なのではないでしょうか。





この記事のトラックバックURL:

特集

何も足さない究極の「原音」に触れる 「知名御多出横」
会員登録プレゼント

新着こだわりコラム

自転車に夢中

2008/11/21 自転車に夢中 ピストでゆ…

大人の男のためのオペラ入門塾

2008/11/21 大人の男のた… 指揮者につ…

ほろ酔い蕎麦屋めぐり

2008/11/20 ほろ酔い蕎麦… 福岡で出会…

文房具に寄す

2008/11/20 文房具に寄す 文房具を撮る

野外はドコデモ隠れ家だ

2008/11/20 野外はドコデ… グルメは歩…