独りで楽しむ京の庭 〜詩仙堂〜59歳からの男の生き方
観光地めぐりにお土産探し。そんなセカセカした京都観光ではなく、ゆったりとした時間を京都で過ごしたいと思いませんか?今回はそんな方にとっておきのお庭をご紹介します。それは、左京区一乗寺にある噂の名庭・詩仙堂(しせんどう)です。
詩仙堂は、正式には六六山詩仙堂丈山寺と号す曹洞宗のお寺です。昭和41年に曹洞宗寺院になりましたが、元々は、江戸初期、寛永18(1641)年に、かつて三河の武士であった石川丈山(じょうざん)が隠棲のために結んだ草庵でした。 詩仙堂という名前は、中国の詩人36人とその詩を選び、狩野探幽らに肖像画を描かせて、丈山自らが 各詩人の詩を墨書した額を掲げたことに由来するそうです。
四季折々の表情豊かなお庭ですが、その詩人達の絵と詩が並ぶ「詩仙の間」からの眺めは特に印象的で、白砂の向こうに広がる丸く刈り込んだサツキの連なりは、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
また、詩仙堂といったら、丈山が考案したという僧都(そうず=鹿おどし)は見逃せ(聴き逃せ)ません。竹筒に水が満ちると反転して石を打つというシンプルな仕掛けで、元々は、田畑を荒らす動物を追い払うための道具でしたが、庭園に使ったのは詩仙堂が最初といわれています。
「静寂と静寂の間に点を打つ音」という表現をした方がいたと記憶しているのですが、まさに、静けさを一層引き立てる絶妙な装置である僧都は、京都を訪れた貴方にゆったりとした時間を演出してくれることでしょう。
池や滝を配したお庭は高低と奥行きに趣があり、前述の僧都の他、竹林、四季折々の草花など、見所は色々あるのですが、その前に、このお庭を作った「石川丈山」という人物についてお話したいと思います。大変ユニークな経歴の持ち主で、この人物像を知ってからお庭を見ると、また違った景色が見えるのではないでしょうか。 石川丈山は、戦国末期の天正11(1583)、三河国に生まれました。同じ時代を生きた人物に、あの剣豪・宮本武蔵がいるのですが、武蔵が吉岡一門との決闘した場所「一条下がり松」が、奇しくも詩仙堂のすぐ近くというのは、何か因縁めいたものを感じずにはいられません。
さて、丈山は、あの天下人・徳川家康の側近として仕え、関ヶ原の合戦にも出陣、また続く大坂夏の陣では、一番乗りをして首を挙げるなど、大活躍をした武将でもありました。
しかし、この大坂の陣での働きが仇となってしまいます。
当時、戦法が新しい時代を迎えつつあった頃、これ以上無益な損害を避けたい家康が、先陣争い(一番乗り)を禁じていたにもかかわらず、丈山は飛び出してしまい、その結果お咎めを受け、蟄居を言い渡されてしまったのです。
何故、このような行いに及んだのか?実は、この丈山の一番乗りには、母からの激励の手紙等が関係しているとも言われています。
その時、丈山は33歳。
そして、丈山は、仏門に入り、俗世から離れることを選びます。




