明智光秀を慕う町
その「光秀さんの祠」とは、実は、白川から路地を数メートル東に入った所にある「光秀の首塚」のこと。民家の間にとてもこぢんまりとした祠が五輪塔とともに建っていました。あまり、観光地図には載っていない、京都の人でもあまり知らないスポットです。
なぜ、こんな所に首塚があるのか?
これには諸説ありまして、天王山の戦いの後、自らの城・滋賀県の坂本へ戻る途中、小栗栖で討たれた光秀の首を、家臣がこの辺りまで運んだが夜が明けたのでこの地に葬ったとか、粟田口の刑場にさらされた後、築かれた塚を、子孫と名乗る人が現在地近くに移したとも言われています。
ところで、先ほど“光秀さん”の御利益を教えてくれた和菓子屋さんは、お店の名を『餅寅』さんといい、この祠を江戸期から代々お世話されています。
今では祠には鍵がかけられ、骨壺や御位牌などが納められているそうですが、お店の奥さんによると、今は亡きお祖母さんが「骨壺を振ったらカラカラと音がした。」とよくおっしゃっていたそうです。

餅寅さんの名物は“光秀饅頭”。黒砂糖を使った蒸かし饅頭で、中には粒餡がたっぷり!光秀の家紋である桔梗の紋の焼き印が、これまた戦国ファンにはグッとくる逸品です。夕方には売り切れることも多いので、気になる方はどうぞお早めに。





