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2007/05/26

緑の中で歴史散策〜天下分け目の天王山

今回は、この時期おすすめの歴史スポットをご紹介したいので、京都市内のいわゆる「洛中」から外に出ます。さて、その場所とは…緑豊かな山、天王山です!

京都と大阪の中間辺り、京都府乙訓郡大山崎町にあるに天王山。今でも何かと大切な勝負の時や決定的 な局面に比喩的に使われる、ご存じ「天下分け目の天王山」です。
決して高くはない、標高約270メートルのこの山が何故、歴史に名を残す事になったのか。それは、 本能寺の変で織田信長が倒れた後、天正10(1582)年6月13日に、天王山の麓・山崎の地で、 羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が明智光秀に勝利した事に因ります。この勝利により、秀吉は、信長亡き後の天下取りをググっと自分の方に引き寄せた、そんな意義ある戦いでした。

さて、この天王山、地元では気軽なハイキングコースとして親しまれています。道中、この山崎の合戦 ゆかりのスポットが多く、戦国ファンにはたまらないコースになっています。

例えば、JR山崎駅から天王山登山道を徒歩10分ほどで見えてくる「宝積寺」。こちらは、秀吉が戦 いの際、本陣を置いた所と言われています。境内に美しくそびえ立つ三重塔は国の重要文化財。秀吉が合戦で亡くなった人の霊を弔むらうため一夜で建立したと言う逸話が残っています。
また、戦いに勝利した後、秀吉が腰掛けながら天下統一に向けて思案したという石、「出世石」はサラ リーマンには気になるところ。是非、御利益に預かってください。


 そして、宝積寺を後にすること数分で「三川合流展望台」へ。三川とは、京都府南部を流れる三つの 河川、桂川、木津川、宇治川を指し、合流して淀川となり大阪湾へと注ぎます。展望台から眼下を眺めると、この山崎の地が、天王山と川とに挟まれた狭い土地だと実感します。戦いには諸説ありますが、秀吉軍がこの天王山に一足早く登り占拠することに成功したため、戦場を見下ろす高台を奪い、有利な陣形を敷くことが出来たとも言われています。

また、合戦時、秀吉軍の士気を高めたと言われるのが、秀吉のトレードマークである千成瓢箪の旗印でした。七合目付近には、老松の樹上高く旗印を掲げたというスポット、「旗立松(はたたてまつ)展望台」があります。山崎の地は現在、主に市街地や工場、畑になっていますが、この旗立松の展望台辺りからは、当時の布陣を思い浮かべながら両軍が戦った山崎の地を眺めることが出来ますよ。
因みに、当時の松は、一説には明治時代末ごろまで枯れ木のままの姿で残っていたそうですが、その後、新しい松が植樹され、現在の松は6代目とのことです。

そして、もうしばらく行くと天王山山頂へ。そこには、戦いの後、秀吉が建てたという山崎城の跡があり、井戸などの遺構が残っています。ここでお弁当を広げるも良し。ここでUターンしてもよし。 
全体で、軽い休憩を入れても、登山口から山頂までは往復で約2時間程でしょうか。また、山頂から山伝いに長岡京市の方へ続く山道もあり、そちらは、だいたい4、5時間みた方がいいでしょう。

最後に一つ、秀吉話から離れますが、皆さんに耳寄り情報です。この大山崎の地は豊富な地下水に恵まれているため、南麓にはこの名水を利用するサントリー山崎蒸溜所があります。ウイスキーの製造過程を見学したり、無料で試飲(山崎12年等)できるガイドツアーもあるようですよ。






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