初旅〜東京・式根島への再訪〜
前回の「サンクチュアリ〜聖域」を見て最終回だと勘違いされてしまったのでは?
と心配している今日この頃。
私としては、3ヶ月・計12回に渡る「トライアスロンレースの旅」の
中締めのつもりであったのだが…。
もちろん、これからもずっと続きますよ!
日本全国・世界各地の知られざる土地との出会いを…。
<記念すべき“トライアスロンレースの旅”の第一歩>
今回は、私が始めてトライアスロンで宿泊を要する旅をした、思い出の場所の話。
大学2年の時、東京都の伊豆七島の1つ『式根島(しきねじま)』で開催された
『東京アイランドシリーズ・式根島アクアスロン大会』
(競技種目:スイム1.5km⇒ラン10km)に出場したのが、私にとって
初めての遠征となった。
厳密にいうとトライアスロンではないが、当時所属していた大学のトライアスロン・サークルのメンバーと共に行った、記念すべき初遠征である。
*『アクアスロン』とは、スイム⇒ランの2種目を行う競技。
バイク競技がないので、競技時間も短く、大規模な交通規制などの必要もないの
で、特に離島で盛んに開催される。
<父との思い出の地 式根島>

実はこの式根島、私にとっては懐かしい土地である。
幼稚園から小学校低学年の頃、夏休みになると父に連れられて毎年、式根島に行っていたのである。
このレース出場により、13年ぶりの式根島への旅が実現したのである。
ところで式根島を含む伊豆七島が東京都であることを知っている方は結構少ないかもしれない。
大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の7つの島のことを伊豆七島という。
“伊豆”が付くくらいであるから静岡県なのでは?と思うかもしれないが、実は東京都に属しているのである。

ところでこの伊豆七島に、なぜか式根島が含まれていない。
その理由は定かではないが、昔、式根島が新島と陸続きで、大地震で離れ離れになったからという説や、式根島がとても小さい島(わずか4km²。島の端から端まで30分もあれば行けてしまう)だから、といった説などがある。
今でこそ、ジェットホイルという高速船で一番近い大島なら約2時間、式根島でも約3時間半で到着するが、父と一緒に行ってた頃は鈍行の客船しか手段がなく、浜松町の竹芝桟橋を夜10時に出発し、式根島に到着するのが翌朝7時という、およそ9時間の航海だった。
しかも、この船の混雑ぶりが凄かった!雑魚寝の2等船室はもちろん、甲板やデッキまで人が溢れ、船員が配ってくれる毛布で全員が寝るのである。

その様相はまさに難民船。
当時の幼い頃の私にとって、この状況は耐えがたく、テレビも漫画もない船内でする事といえば、甲板から景色を見たり、船内を探検したり・・・父親が持ってきたラジオを聴いたり、と暇をつぶす事に苦労していた事を思い出す。
<小さい頃の式根島での思い出>
しかし、長い船旅を経て式根島に近づくと、そこには東京とは思えない素晴らしい光景が待っていた。


♦客船と一緒に海上を跳ねる飛魚(とびうお)
♦朝日と海が奏でる美しい景色
♦船から見る雄大な島影
などなど。
また島での生活で、最も思い出深いのは民宿での夕食後、父と一緒に、『夜釣り』
をしたり『夜の式根島を探険』をしたことである。
夜遅くまで遊ぶことに、憧れを持っていた幼い頃の私にとって、この式根島での生活は刺激的だった。
当時の式根島には街灯が殆どなかった。
父と二人で真っ暗な夜道を歩いていると、このまま暗黒の世界に引きずりこまれてしまうのでは?と本気で考えた私は父の手を思いっきり掴んで放さなかった事を覚えている。
どのくらい歩いただろうか、海の向こうに明かり
が見える、隣の新島(にいじま)の町明かりだ。
新島がとんでもなく大きな町に思えてくるから不思議だ。
30分程歩くと、式根島で一番賑やかな通りに出てくる。
ここまでくれば一安心。
夜遅くまで開店しているかき氷屋さんで、父は生ビールを飲み、 私には泣かずに頑張ったご褒美にイチゴミルクのかき氷をご馳走してくれる。
幼い頃、夕食後のお菓子はご法度、毎日夜8時には寝ていた私にとって、この夜の冒険とご馳走は少しお兄さんになった感じをさせるには充分であった。
怖さと好奇心が入り混じった幼い頃の懐かしい思い出だ。
<13年ぶりの式根島は・・・>
さて久方ぶりの式根島。
幼い頃行った民宿・下田屋のおばちゃん、お兄さんは元気だろうか?いつも泳いだ入り江の海岸はどうなっているか?街灯などが整備されて、あの頃の夜の暗闇はもう体験出来ないのでは?…といった不安があったが、式根島に上陸して安心した。
信号もないメインストリート、入り江に囲まれた静かな海、懐かしいカキ氷屋さん、その殆どが、昔の姿そのままに残ってくれていた。

この時に改めて感じたのであるが、昔行った土地に久しぶりに訪れた時に感じる、わくわく感や緊張感を持てることは幸せなこと。
故郷を訪れる気持ちになれるのである。
初遠征でのレース、幼い頃の思い出の地との再会、次回はこの式根島の魅力と出会いを存分に伝えていきたいと思う。
今回は、私が始めてトライアスロンで宿泊を要する旅をした、思い出の場所の話。
大学2年の時、東京都の伊豆七島の1つ『式根島(しきねじま)』で開催された
『東京アイランドシリーズ・式根島アクアスロン大会』
(競技種目:スイム1.5km⇒ラン10km)に出場したのが、私にとって
初めての遠征となった。
厳密にいうとトライアスロンではないが、当時所属していた大学のトライアスロン・サークルのメンバーと共に行った、記念すべき初遠征である。
*『アクアスロン』とは、スイム⇒ランの2種目を行う競技。
バイク競技がないので、競技時間も短く、大規模な交通規制などの必要もないの
で、特に離島で盛んに開催される。
<父との思い出の地 式根島>

実はこの式根島、私にとっては懐かしい土地である。
幼稚園から小学校低学年の頃、夏休みになると父に連れられて毎年、式根島に行っていたのである。
このレース出場により、13年ぶりの式根島への旅が実現したのである。
ところで式根島を含む伊豆七島が東京都であることを知っている方は結構少ないかもしれない。
大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の7つの島のことを伊豆七島という。
“伊豆”が付くくらいであるから静岡県なのでは?と思うかもしれないが、実は東京都に属しているのである。

ところでこの伊豆七島に、なぜか式根島が含まれていない。
その理由は定かではないが、昔、式根島が新島と陸続きで、大地震で離れ離れになったからという説や、式根島がとても小さい島(わずか4km²。島の端から端まで30分もあれば行けてしまう)だから、といった説などがある。
今でこそ、ジェットホイルという高速船で一番近い大島なら約2時間、式根島でも約3時間半で到着するが、父と一緒に行ってた頃は鈍行の客船しか手段がなく、浜松町の竹芝桟橋を夜10時に出発し、式根島に到着するのが翌朝7時という、およそ9時間の航海だった。
しかも、この船の混雑ぶりが凄かった!雑魚寝の2等船室はもちろん、甲板やデッキまで人が溢れ、船員が配ってくれる毛布で全員が寝るのである。

その様相はまさに難民船。
当時の幼い頃の私にとって、この状況は耐えがたく、テレビも漫画もない船内でする事といえば、甲板から景色を見たり、船内を探検したり・・・父親が持ってきたラジオを聴いたり、と暇をつぶす事に苦労していた事を思い出す。
<小さい頃の式根島での思い出>
しかし、長い船旅を経て式根島に近づくと、そこには東京とは思えない素晴らしい光景が待っていた。


♦客船と一緒に海上を跳ねる飛魚(とびうお)
♦朝日と海が奏でる美しい景色
♦船から見る雄大な島影
などなど。
また島での生活で、最も思い出深いのは民宿での夕食後、父と一緒に、『夜釣り』
をしたり『夜の式根島を探険』をしたことである。
夜遅くまで遊ぶことに、憧れを持っていた幼い頃の私にとって、この式根島での生活は刺激的だった。 当時の式根島には街灯が殆どなかった。
父と二人で真っ暗な夜道を歩いていると、このまま暗黒の世界に引きずりこまれてしまうのでは?と本気で考えた私は父の手を思いっきり掴んで放さなかった事を覚えている。
どのくらい歩いただろうか、海の向こうに明かり
が見える、隣の新島(にいじま)の町明かりだ。 新島がとんでもなく大きな町に思えてくるから不思議だ。
30分程歩くと、式根島で一番賑やかな通りに出てくる。
ここまでくれば一安心。
夜遅くまで開店しているかき氷屋さんで、父は生ビールを飲み、 私には泣かずに頑張ったご褒美にイチゴミルクのかき氷をご馳走してくれる。
幼い頃、夕食後のお菓子はご法度、毎日夜8時には寝ていた私にとって、この夜の冒険とご馳走は少しお兄さんになった感じをさせるには充分であった。
怖さと好奇心が入り混じった幼い頃の懐かしい思い出だ。
<13年ぶりの式根島は・・・>
さて久方ぶりの式根島。
幼い頃行った民宿・下田屋のおばちゃん、お兄さんは元気だろうか?いつも泳いだ入り江の海岸はどうなっているか?街灯などが整備されて、あの頃の夜の暗闇はもう体験出来ないのでは?…といった不安があったが、式根島に上陸して安心した。
信号もないメインストリート、入り江に囲まれた静かな海、懐かしいカキ氷屋さん、その殆どが、昔の姿そのままに残ってくれていた。

この時に改めて感じたのであるが、昔行った土地に久しぶりに訪れた時に感じる、わくわく感や緊張感を持てることは幸せなこと。
故郷を訪れる気持ちになれるのである。
初遠征でのレース、幼い頃の思い出の地との再会、次回はこの式根島の魅力と出会いを存分に伝えていきたいと思う。





