旅・宿・移住

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2007/03/31

空と海の間に

地球は、その表面積の70%が海である。宇宙船から見たガガーリンも「地球は青かった」と言ったではないか。正しくは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」というコメントらしいが、雲の下に見えたのは海の色だったのだろう。

ヨーロッパの歴史は、陸地が主な舞台に思えるが、実は海路が開かれてからの方が大きくその勢力図を変貌させる。海こそが、世界史の70%を創ったと言っても過言ではない。 海を制し、多角的な交易関係を築いた国が、世界の地図を塗り替えていった。海に囲まれた日本では、鎖国の禁を破って命懸けで密航した薩長の志士たちが、日本を大きく変えたのだ。だから、「海を渡る」という言葉には、快い悲壮感が伴う。

ところが、妻は「目の前が海と空だけというデッキで、本を毎日読めるのは幸せな気分」と嬉々とし、僕は、海と空だけの景色が100日も続くと、たぶん飽きてしまうのではないか、そう思って乗船した。  

ところが…ところが、である。空と海が描く大自然の絵筆に、毎日圧倒され続けた。

毎朝、日の出を撮る人がデッキに多くいると聞いたが、朝の弱い僕は、水平線にジュウジュウと音をたてているような落日の素晴らしさに酔った。

06年最高のジュウジュウは、モンテカルロを離れた時の夕陽だった。雲を真っ赤に焦がして海に溶けて行く太陽の美しいこと。ちょうど、メインショーが始まったばかりで船客の多くはホールの中だった。見事な落日を見届けた人は、それほど多くはいなかった。

妻は今でもあの光景が忘れられないと言う。「海に溶けていった、あの夕陽は今までで最高だったわ。で、左舷のデッキには、透き通るような満月の 光が波間を照らしていたのよね。右舷と左舷に描かれた、絵のよ うなあの光景、もう一度見たいわ」。満天の星空には手が届きそうな錯覚を持つ。

ある時は、天の川の向こうに人工衛星の光が横にゆっくりと糸を引くように流れていった。デッキに立っていると、人間が芥子粒にも満たない微かなもの、人の一生があまりにも短いものだと思わずにはいられなかった。そして妙な、神秘的な浮遊感も体験した。まさに宇宙に浮かぶ水の星にいると実感したものだ。

 静かなデッキの上で、マイナスイオンを浴びながら、頬を撫でる潮風と肌をじりじりと焼く太陽を楽しむ。見渡せば上も下も青い世界。雲が浮かぶから、そこが空。細かい皺が見えるからから、そこが海。どちらかが濃く、どちらかが薄い。それを分けるのが水平線。空の色はもちろんだが、海の色も、海域、季節、時間、天候、深さによって色を変えるのを実感した。毎日眺めていると、海の色が変化していくのが判る。

世界一周クルーズでは、日本を離れてから西へ台湾海峡、東シナ海、南シナ海、マラッカ海峡を通過、マレー半島と小さな島々に挟まれたアンダマン海を航行する。海の名前が変わるたびに水の色も変わる。妻は、その色を写そうとカメラ片手に毎日駆けずり回っていた。

インドを出てから一週間あまりでアラビア海へ。洋上360度に海と空の他は何も見えない日が続く。群青の海原は、べた凪ぎの状態になる。地球上の人間は、我々だけだという錯覚に陥る。

アラビア半島のイエメンとアフリカ大陸のソマリアに挟まれたアデン湾は、海水が蒸発して塩分濃度が3%を超えるのだという。濃い潮の香りが鼻をつく。

紅海に入ると、両岸には赤茶けた大地が延々と続く。クストーが絶賛したほど透明度の高い海水だが、スエズに入ると、一段と潮の香が強くなる。

「砂漠の影響かしら、海の色がまた違う」カメラを構えている妻が呟く。エメラルドグリーンにミルクを足したようだと形容する。スエズ運河の巨大な塩湖に入ると、海面は白っぽい黄緑色になって水深が浅いことを教えてくれる。そして、無数の星が瞬く夜の砂漠はエンジンの音だけがする、黒々とした沈黙の世界になるのだ。

地中海に抜け出ると、一転して海の色は緑に変わる。まさしくエメラルドグリーンの世界が拡がる。

03年は遠望したロードス島に06年は寄港し、その後、サントリーニ(ティラ)島の2キロ沖合で、崖の上に並ぶ白い家と青いチャペルを見上げながら、デッキディナーを楽しんだ。食事が終わりかけた頃に、船内放送でキャプテンが「今日はまだ、特別のデザートをお出ししますので、部屋には帰らないでください」意味ありげに言った。 しばらくしてその舞台は、海の上に現れた。真正面の奇岩の横に、辺りを燃やして沈んでゆく巨大なサンセットショーだった。

エジンバラのフォース湾から北上してイギリス本島の先端・ダンガスビー岬を回る北緯60度に近いベントランド海を通過したときは、最果ての地にでも到達してしまったのかと思える重くて暗い、グレーを混ぜたネービーブルーの海面を目にした。

大西洋をアメリカ大陸に向けて横断するとき手荒い歓迎を受けた。ピッチングにローリングが加わったうねりで睡眠不足の翌朝、眩しいほどに鮮やかな緑や黄色に輝く珊瑚礁が現れて、船はバミューダ諸島に近づいた。
ターコイスブルーが基調の海は、絵葉書そのものだった。

バミューダを西に進むと、浮遊する無数のホンダワラが目に付きだす。海の色はなんとなく軽い。ブルーブラックのインクを流したようだ。フロリダからメキシコ湾を経てカリブ海に入ると、インディゴブルーだったように思う。

パナマ運河を抜けてコスタリカの沿岸では、時折激しいスコールに見舞われる。遥か沖合にある雲が海に向かって暗色のカーテンを降ろしていれば、そこはスコールだと判りやすい。

北アメリカ沿岸を北上してバンクーバーに近づくと、さすがに大気は冷え込んで、海面は再びブルーグレーの海になる。この美しい「ブルー」も英語では、ブルーマンデーというように、「憂鬱」を意味する。音楽の「ブルース」も語源はそれのようだ。

アラスカのフィヨルドに入り込むと、氷河に当たった朝日がハレーションを起こして反転ネガフィルムの世界に入り込んでしまう。磨いたガラスのような海面には蒼白い氷河が映り込む。何万年もの時間が閉じ込められた色があった。

幼い頃、幡豆郡三河吉田に疎開していた。祖父の釣り船で沖に出たり、係留してあった上陸揚舟艇で遊んだりした。小学校に上がる頃は、蜂須賀小六と日吉丸で有名な矢作橋の川が夏の風呂代わりだった。中学、高校時代は、名古屋の港区に住んでいた。大学時代のバイトは、名古屋港のランチボートに乗って沖留めの貨物船で積み荷の検数員を毎年していた。こうしていつも、海や川のそばにいたのに何故かカナヅチで、しかも船酔いが激しかった。それが、太平洋からインド洋、地中海から北海、大西洋の海原を眺めては、うっとりしていたのだ。

日本人は縄文、弥生と農耕民族を自認してきたが、本来は海に囲まれて育った海洋民族である。異国の文化は、海から運ばれてきた。「テンプラ」も「カルタ」も、船で来た。こうした様々に変化する海の色を目にすると、グラフィック・デザイナーは、DICのカラートーンを引っ張り出して見比べたくなるにちがいない。

船旅ならではの素晴らしさは、空と海と太陽と月と波たちが演じる大自然のショーを眺められる毎日だと答えたい。





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