海のクレー射撃
「右舷前方約5分先にイルカの群れが見えます」
操舵室のマイクから時折、こうした知らせがキャビンに流れる。廊下が慌ただしくなる。ドアーを閉めて駆けだしていく足音と声がし始める。バルコニーテラスの上層階の部屋ならまだしも、我々は3階である。じっとはしていられない。カメラを持って、部屋を飛び出す。この階にはデッキに出る口はない。いち早く4階のプロムナードデッキに駆け上がるか、それとも、6階の操舵室横のウイングに立つか。素早い判断が要求される。エレベーターで7階に上がり、プールサイドを抜けて、最上階の8階デッキに一気に上がると、息が切れている。全体は見渡せるが、風も強い場所である。4階、6階、8階の左右に、カメラの放列が出来る。
船客が続々と操舵室に上がってくる。航海士が口にする会話に聞き耳を立てている。両サイドのウイングには、人垣が出来る。イルカの姿は見えないのだが、白い飛沫が時々あちこちに立つ。さあと、カメラを構える。船の速度は、時速30キロ以下。どんどん、飛沫が近づいてくる。イルカの姿が見え始めると、望遠レンズのカメラからシャッター音が鳴り響く。イルカは、我々が来ることを喜んでいるかのように、舳先に向かって飛び込んでくるのだ。キャア、ワアの声が断続的に続く。舳先にイルカが衝突しそうに思えるからだ。それが一番近い位置にいるイルカだ。撮り終えた画像を確かめる。尾だけが写っているのはいいほうで、大半は潜ってしまった後だ。目で追うことはできても、カメラで収めるのは容易ではない。溜息があちこちで漏れる。

ではと「連写」にセットして近づくのを待つ。やがて、水面下を泳ぎ抜けてくる姿は目撃するが、海面に現れてくれない。次の一群まで、長い時間が過ぎる。ところが、いよいよ来た!という肝心なときにシャッターが下りなくなる。大事なときにバッテリー切れだ。闇雲にシャッターを押し続けたことよりも、電源を入れたまま待ち続けることで電池を消耗してしまうのだ。デジタルカメラの弱点と言えば弱点である。電池なければ、ただの箱。すべての動作がシャットダウンする。乾電池が使えるカメラが頼もしくなる。
初めての世界一周クルーズの時は、特定充電池使用のコンパクトデジカメだった。3倍のデジカメだった。それでも、悲しいことに海面から6階の操舵室までが高すぎる、いや遠すぎる。レンズがイルカを引き寄せられない。4階のプロムナードデッキが最適の高さだが、左右どちらにいるかで、イルカの泳ぎ去る方向を見失うことが多い。右舷から左舷に、左舷から右舷に、まさに右往左往、イッチかバッチかの追っかけである。本人は至って真剣なのだが、その動きはチャプリン映画のような慌て方だ。

2回目のクルーズでは、思いきって300ミリズームのデジカメを買った。電池切れにも素早く対応できる乾電池仕様だ。ポケットには何本もの乾電池を入れて海面と対決した。 誰かの叫声でレンズを構え直し、波間に向けてシャッターを押す。シャカシャカシャカ。望遠300ミリの写角は狭い。アップになった波頭の上に画像を滑らせる。白い水しぶきの先を、望遠レンズでトレースしながら、瞬間を連写する。シャカシャカシャカシャカ。
イルカと人間の頭脳戦である。いや消耗戦でもある。バッテリーが切れるとすぐさま単3の乾電池をズームカメラに込める。乾電池が弾丸に思えてくる。なんだか、「海でのクレー射撃」のようだ。 レンズでシューティングする海洋動物や鳥類はイルカだけではない。実に多い。海亀からエイ、シャチ、鯨、ラッコ、あざらし、サーモン。それに海面を飛ぶパフィン、エトピリカ、ペリカン、カモメなどなど。
06年では、マンボウが海面すれすれまで浮いてきた。 
この「クレー射撃」、デッキの高い客船では、海面との距離が問題だ。にっぽん丸より、さらに高い飛鳥2、それより高い10万トンクラスの欧米の巨大客船になると、海面までの距離が遠くなるから難しい。3倍程度のコンパクトカメラではクルーズの楽しみは、悔しさに変わりかねない。
光学12倍のデジカメに買い換えたいと最近言い出した妻には内緒だが、実は、手ぶれも被写体ブレも自動補正する21倍ズーム(748mm相当)デジカメが3月に発売された。宝クジが当たってくれないかと秘かに願っているのは、僕のほうなのだ。
*「大西洋のまんぼう」写真提供/船友・横田 晟さん





