河を遡る
七つの海を航走するというのは、大陸横断とか縦断よりもダイナミックに地球を旅した感がある。だが、それでもまだ船より飛行機の旅のほうがいい、という友人がいる。時間が勿体ない、その分、滞在日数が増やせるといった。しかし、彼の奥さんはその反対だった。若くないのだから、ホテルを渡り歩くのは疲れるという。ランクがかなり上のホテルだぞと夫が説明してくれるが、出張と違って滞在日数が1日くらいでは私の目には何処の部屋も同じに思えるのよと返ってきた。大型客船はセーヌ川も遡るのだと言ったら、奥さんの目の色が変わった。リバークルーズは女性的なのだろうか。
10万トンクラスの巨船ではできない船旅もある。キール運河はにっぽん丸の2万トンクラスでファンネル(煙突)の高さがギリギリである。5万トンクラスになった飛鳥2では、通航できなくなった。シンガポールのリバークルーズやインドのコーチンでのリバークルーズ、またアムステルダムの街の中の運河は、地元の観光船によるオプショナルツアーの類だが、客船で川を遡る初めての体験は、03年次のニューオーリンズ寄港の時だった。 ミシシッピーの夜明けを遡った。距離にして、実に100マイル、東京静岡間だというから驚きだ。トムソーヤの遊んだであろう河川の沿岸をしずしずと遡った。北米最大の河川で、その範囲は17州に及び、支流まで含めた距離は、地球の赤道を2/3周するほどだ。上流へと向かう先には、蒸気船とジャズの歴史がある。この川が、ハリケーンで甚大な被害を被ったのは寄港した翌年のことだった。この凄まじい強さは、06年、メキシコのユカタン半島のホテル群が、未だに修復できない姿をさらけ出していたこと目にしてあらためて知ることとなった。
入港という港湾施設ではなく、海から川に入って投錨したのは、サンクト・ペテルブルグのネバ川だった。出航するときは、川幅いっぱいに180度旋回して海に出て行った。
英国では、リバプールのマージー川の真ん中に投錨して大型フェリー船に乗り移った。その船には、リバプールの市長と広報担当官が歓迎のために乗船していた。ロンドンではテムズ川を遡って、かの有名な歴史的帆船、カティサーク号の前で投錨した。やはり通船で桟橋に着いた。「ティクリッパー」として19世紀、中国から英国までいかに早く紅茶を運んでこられるかを競った高速船である。カティサーク号の船首飾られている妖精ナニーが、間近に見られるとは思ってもいなかった。
船名の由来は、ナニーが身につけている「シュミーズ」なのだ。
川というより人口水路だが、北海の水位をコントロールするロックを開けて入ったのは、アムステルダムであり、エジンバラのレイスだった。 06年は、セーヌ川を遡った。03年に寄港したル・アーブルの沖で一旦投錨した。浅瀬であるため、満潮時を待つことになった。セーヌ河口からルーアンに遡るのは、約80海里(148km)。小田原辺りから東京までの川を外洋客船が航行するのだ。模型のような家がぽつんぽつんと川岸に建ち並び、時折、子供たちが自転車で手を振りながら、併走してくれる。何処かに忘れていた懐かしい、のどかな時間をくれるのだ。そもそも、このセーヌ川の源は東南フランスのラングル高原辺りで、それがドーバー海峡に流れ込むまで776kmの長さがある。日本の信濃川の約2倍になる。パリのシテ島を流れる川幅しか知らなかったが、セーヌ川は堂々とした海運交易の道だった。ここには、明石海峡大橋に世界一を譲ったノルマンディ橋が架かっている。
もうひとつ、河口を遡った。古都リューベックに行くために、キール運河を出てから、バルト海の保養地、トラヴェミュンデに入った。ここには、10万トンクラスの大型客船が桟橋に着岸していた。大型客船が入港する川と言えば、ニューヨークのハドソンリバーとイーストリバーだろう。06年には、リバティ島の自由の女神を横切って入った。同時期に、「飛鳥2」とピースボートの「トパーズ号」が停泊していた。 ヨーロッパの地図を拡げると、ドイツ南部からルーマニアの黒海に流れる大河、ドナウ河が見える。全長は2800kmの間には、10ヵ国がある。また、スイスのボーデン湖からオランダのロッテルダムで北海に注ぐ大河は、ライン河。ドナウ・マイン運河が北海と黒海を結んでいる。ドナウ河には、日本の旅行社、ニッコウトラベルが建造した客船セレナーデ号が運航されている。このように最近は、リバークルーズを採り入れるコースが増えているようだ。南仏のローヌ川、ナイル川、そして長江三峡、母なる大河ボルガに入るコースもある。外洋の大型客船では入れないリバークルーズには、川岸の人々との交流もある、生活感溢れる世界が拡がっているはずである。
キール運河では、老夫妻が大きな日章旗を振りかざして歓迎してくれた姿が今でも目に残っている。FM放送で通過を聞きつけて知ったらしい。
平野部の長く延びた欧米に比して、島国である我が国は山間部が多く、峡谷を雪解け水が流れ、川となって海に注いでいるため、川幅も狭く岩礁もあって左右に曲がり、しかも高低差がありすぎる。京都の保津川や最上川に阿賀野川、木曽川の日本ラインに天竜ラインなどもリバークルーズには違いないが、ゆったり静かなクルーズならば、東京湾に繋がる隅田川の屋形船くらいか。いやいや、漫画・アニメ界の巨匠・松本零士氏がデザインした、あのシルバーメタリックの宇宙船「ヒミコ」を忘れてはなるまい(浅草・お台場間水上バス、1520円)。
入港という港湾施設ではなく、海から川に入って投錨したのは、サンクト・ペテルブルグのネバ川だった。出航するときは、川幅いっぱいに180度旋回して海に出て行った。
英国では、リバプールのマージー川の真ん中に投錨して大型フェリー船に乗り移った。その船には、リバプールの市長と広報担当官が歓迎のために乗船していた。ロンドンではテムズ川を遡って、かの有名な歴史的帆船、カティサーク号の前で投錨した。やはり通船で桟橋に着いた。「ティクリッパー」として19世紀、中国から英国までいかに早く紅茶を運んでこられるかを競った高速船である。カティサーク号の船首飾られている妖精ナニーが、間近に見られるとは思ってもいなかった。
船名の由来は、ナニーが身につけている「シュミーズ」なのだ。川というより人口水路だが、北海の水位をコントロールするロックを開けて入ったのは、アムステルダムであり、エジンバラのレイスだった。 06年は、セーヌ川を遡った。03年に寄港したル・アーブルの沖で一旦投錨した。浅瀬であるため、満潮時を待つことになった。セーヌ河口からルーアンに遡るのは、約80海里(148km)。小田原辺りから東京までの川を外洋客船が航行するのだ。模型のような家がぽつんぽつんと川岸に建ち並び、時折、子供たちが自転車で手を振りながら、併走してくれる。何処かに忘れていた懐かしい、のどかな時間をくれるのだ。そもそも、このセーヌ川の源は東南フランスのラングル高原辺りで、それがドーバー海峡に流れ込むまで776kmの長さがある。日本の信濃川の約2倍になる。パリのシテ島を流れる川幅しか知らなかったが、セーヌ川は堂々とした海運交易の道だった。ここには、明石海峡大橋に世界一を譲ったノルマンディ橋が架かっている。
もうひとつ、河口を遡った。古都リューベックに行くために、キール運河を出てから、バルト海の保養地、トラヴェミュンデに入った。ここには、10万トンクラスの大型客船が桟橋に着岸していた。大型客船が入港する川と言えば、ニューヨークのハドソンリバーとイーストリバーだろう。06年には、リバティ島の自由の女神を横切って入った。同時期に、「飛鳥2」とピースボートの「トパーズ号」が停泊していた。 ヨーロッパの地図を拡げると、ドイツ南部からルーマニアの黒海に流れる大河、ドナウ河が見える。全長は2800kmの間には、10ヵ国がある。また、スイスのボーデン湖からオランダのロッテルダムで北海に注ぐ大河は、ライン河。ドナウ・マイン運河が北海と黒海を結んでいる。ドナウ河には、日本の旅行社、ニッコウトラベルが建造した客船セレナーデ号が運航されている。このように最近は、リバークルーズを採り入れるコースが増えているようだ。南仏のローヌ川、ナイル川、そして長江三峡、母なる大河ボルガに入るコースもある。外洋の大型客船では入れないリバークルーズには、川岸の人々との交流もある、生活感溢れる世界が拡がっているはずである。
キール運河では、老夫妻が大きな日章旗を振りかざして歓迎してくれた姿が今でも目に残っている。FM放送で通過を聞きつけて知ったらしい。平野部の長く延びた欧米に比して、島国である我が国は山間部が多く、峡谷を雪解け水が流れ、川となって海に注いでいるため、川幅も狭く岩礁もあって左右に曲がり、しかも高低差がありすぎる。京都の保津川や最上川に阿賀野川、木曽川の日本ラインに天竜ラインなどもリバークルーズには違いないが、ゆったり静かなクルーズならば、東京湾に繋がる隅田川の屋形船くらいか。いやいや、漫画・アニメ界の巨匠・松本零士氏がデザインした、あのシルバーメタリックの宇宙船「ヒミコ」を忘れてはなるまい(浅草・お台場間水上バス、1520円)。





