旅・宿・移住

2008/02/26

イギリス編 その2

「嬉しい、これが飲みたかっんだ」と私。「そうか、そんなに美味しいか」とパブの常連。「以前ロンドンでも飲んだけど、やはり現地が旨いや」と言うと、「そうだろ、ビールはヨークシャーに限る」と鼻高々。今宵も繰り返される、ビール酒場の真実。

ビートルズのメンバー達が大のビール好きであるという確証は、無い。しかし、イギリスにいくと、彼らにゆかりのあるパブや常連であった酒場はいくつもある。
ジョン・レノンが故郷リバプールの美術学校、リバプール・アート・インスティチュートに通っていたころ、溜まり場だったパブがある。学校の前を大通りに向かって少し歩いて左に入った路地にあるYE CRACKE PUBがそれだ。

ジョンがビールを特にに好んだとは知られていない。むしろ彼はコーラのウイスキー割りを好んでいたフシがある。後年世界ツアーのパリでも、専らそれを飲んでいたと読んだことがある。

それよりもビートルズにからんで最も有名になった酒場は、多分リバプールのEMPRESS PUBだろう。この酒場の前面フルショットの写真がリンゴ・スターのアルバム『センチメンタル・ジャーニー』に使われたからだ。いまでもそのパブはジャケット写真そのままに実在している。リンゴが生まれたマドリン通りはすぐ側の路地だ。少年時代に住んでいた長屋のアドミラルグローブもすぐ隣にある。

リバプールを訪れて驚いたのは、彼らがデビューしたキャバーン・クラブがある街の中心から彼らの住まいまで、とても遠い事だった。ジョンのミミ叔母さんの家は郊外だったし、ジョージもリンゴもポールの住まいもリバプールの中心から随分と離れている。私は専ら車であの街を移動したが、もし徒歩で彼らが歩き回っていたとしたら相当の健脚だなと感心したものだった。

さて、私たちビートルズ・フアンには聖地であるのが、マシュー通りのキャバーン・クラブだ。彼らが初めてこのクラブに出演したのは1961年3月21日。出演料は5£だった。彼らが294回も演奏した薄暗く換気の悪い地下のクラブはもう無い。今は取り壊され駐車場になっている。私は通りを隔てたグレイプスGRAPESというパブに入って、ペディグリーをパイントで飲んだ。ジョンもきっとこのカウンターで休憩したことだろう。

キャバーンにはアルコール類はおいてなかったので、彼らは休憩時間にはここでビールを飲んでいたと、かつてどこかに書かれていたのを思い出したからだ。

ジェイムズ・ヘリオットの『ヘリオット先生奮戦記』を愛読する方は多いだろう。私もその一人として、いつかはあのヘリオット・カントリーを訪ねてみたいとかねてから念願していた。

『奮戦記』にはビールに関する記述も多い。たとえば「ヨークシャーで一番旨いマグネットの生ビール」とか、「ウイッテイ・ブレッドを数杯」とか。また「スミス・ナッテイ・ブラウン・エール」というビールも登場する。また場所は特定されていないがダロウビー周辺の「ブラック・ブル」とかヘリオット先生行きつけの「ドローヴァーズ・アームズ」とか「ブラック・スワン」、「クロス・キーズ」等の居酒屋も物語の句読点のように現れる。

物語のダロウビーは現実の村ではない。作者はノースヨークシャーにあるレイバーンとミドルバーンとリッチモンドを合成した架空の町としている。ちなみにジェイムズ・ヘリオットこと作者かつ獣医アルフ・ワイトの自宅兼事務所はサースクにあった。またBBCが制作したTVシリーズの撮影はアスクリッグで撮影されている。この町でヘリオット先生の自宅として使われたクリングリー・ハウスは今でも映画そのままにスケルデール・ハウスという看板を残している。また数軒先のキングス・アームズの入口にはヘリオットの常連の酒場「ドローヴァーズ・アームズ」という看板も下がっている。

ともあれこのノースヨークシャーは知る人ぞ知るヘリオット・カントリーであることは疑いもない事実だ。そこで私はリッチモンドを経由し、A691号線に入り、ヨークシャーデイルの街道筋にある農家のB&Bに宿を取ろうと考えた。そこならひょっとするとヘリオット先生が往診した農場かもしれないのである。





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