ホテルニューオータニ
前々回に帝国ホテル東京、前回ホテルオークラ東京と紹介させていただきました。今回は日本を代表するもうひとつのホテル、ホテルニューオータニを紹介しましょう。
一般的にこの3つのホテルは、以前から“ホテル御三家”と称されています。どれも日本文化の発信、国際都市東京を世界にアピールするために長い間奮闘している優れたホテル企業です。
ホテルニューオータニが開業したのは1964(昭和39)年9月1日。当時は東海道新幹線や名神高速道路が開通し、“大量高速輸送時代の幕開け”といわれた頃でした。初代社長の大谷米太郎氏は、わが国の高度経済成長時の基幹産業である鉄鋼業界で成功した事業家です。同年10月に開催された東京オリンピックを前に、政財界からホテル建設の要請を受け、約4万平米という広大な日本庭園を有する紀尾井町の所有地に壮大なホテルを創ったのでした。創業社長である大谷米太郎氏の事業家としての慧眼に敬服させられるのは、この時代につくるホテルを客室数1053室と、東洋一の規模の国際的高層ホテルとしたことです。日本の将来を「成長と規模の時代」と予言し、かつ大規模輸送時代とともに、観光産業の成長、ホテルの重要性を確信していたのです。のちに大宴会場やタワー館などの規模拡大も早くから壮大なビジョンとして描いていたようです。
大谷米太郎氏は、ホテルを手掛けるとき最初にホテルオークラの創業者である大倉喜七郎氏に相談し、「長い眼で見ればホテル経営はよいが、まず絶対儲からない」とアドバイスを受けたそうです。昭和30年代といえば、まだまだ帝国ホテルがホテルの代名詞のような存在であって、「ホテルは裃を着ていくところ」というイメージを持っていたくらい敷居が高かった時代でした。つまり、ごく限られた人しか利用しない存在だったのです。そこにあえて1000室規模のホテルをつくり、需要を喚起し、日本全体に、ホテルという存在のすばらしさを訴えていったのです。その結果、ホテルニューオータニ誕生以降、ずいぶんとホテルは庶民にも近づき、幅広く利用されるようになっていったのです。現在はグループホテルとして国内に17、海外に2つのホテルがあります。
大谷米太郎氏は、ホテルを手掛けるとき最初にホテルオークラの創業者である大倉喜七郎氏に相談し、「長い眼で見ればホテル経営はよいが、まず絶対儲からない」とアドバイスを受けたそうです。昭和30年代といえば、まだまだ帝国ホテルがホテルの代名詞のような存在であって、「ホテルは裃を着ていくところ」というイメージを持っていたくらい敷居が高かった時代でした。つまり、ごく限られた人しか利用しない存在だったのです。そこにあえて1000室規模のホテルをつくり、需要を喚起し、日本全体に、ホテルという存在のすばらしさを訴えていったのです。その結果、ホテルニューオータニ誕生以降、ずいぶんとホテルは庶民にも近づき、幅広く利用されるようになっていったのです。現在はグループホテルとして国内に17、海外に2つのホテルがあります。





