旅・宿・移住

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2007/11/13

全く土地は見つからない。しかし、ヒョンなことで知り合った人の紹介で、待望の土地がフイに現れた。

地主の佐藤(仮名、以下爺さん)さんが、砂利の坂道に止めたクルマで待っていた。70歳くらいのお爺さんだ。
現地を早速案内してもらう。 約1万坪ある山林のうち、どこでもいいという。希望する場所を分筆するからという。広さは千坪単位。価格は坪あたり5000円だという。 

おー、北海道らしい話になってきた、と思った。
最初、私たちは、多くても500坪あれば充分だと思っていた。それがいきなり千の単位である。これは手応えがあると思った。
最もうれしかったのは、ここで初めて北海道らしい価格が現れたことだった。改めて書いておくが、私は、ここまで土地をめぐる交渉をしてきて、どうやら土地には、2重の価格があると思っていた。いわゆるアジア的な商売の2重価格である。北海道人には北海道向けの価格を提示し、内地の人間には内地価格を示すのだ。
夏にきたとき、本当はどれくらいが相場なのだろうと実状を調べておいた。実際に北海道の方々が売り買いする価格を聞いてみたのだ。札幌とか旭川市内の土地価格はほぼ安定していたが、郡部の価格はおおいに異なっていた。旭川郊外のK牧場のオーナーは、離農した農家の土地を坪あたり千円で買ったと言っていた。
だったらこれまで私たちの聞いて集めた価格はいったいなんだろう。 ちなみにマオイの丘の別荘地は、坪当たり1から2万円。余市の別荘地は更に高く、当別に至っては、札幌並だった。私は、この時点で絶対北海道価格で買うぞ、内地価格では絶対に買うもんか、と決心していた。 

約1万坪ある敷地の中を、私たちは爺さんの先導で、ワシワシとゴム長靴で歩き回った。その丘の上に、二階建ての家を建てれば、どこからでも大雪連峰の上部半分は望めそうだった。 
敷地の東側に川が流れていた。そこで釣りでもしなさいと言っているかのように、川に向かってなだらかなスロープが用意されていた。南側斜面に沢があり、その沢の流れは小さな、直径30メートルほどの湧き水の沼から溢れて始まっていた。
一時間も歩き回ったら、ゴム長が泥だらけになった。なんだか、昔に戻ったような懐かしい気がした。小学生の頃、雨の日にジャブジャブと水たまりを歩いた時と同じ気分。
広々とした丘陵を渡ってきた、澄み切って乾いた風が汗ばんだ首筋にあたるのが心地いい。私は遙か離れた東京に、これまで背負ってきた何かを置き去りにしてきたような気がしていた。それが何なのか、おぼろげに分かっていた。しかし曖昧にしておきたい気分だった。 

その日は1週間以内に返答するという条件で、爺さんと別れた。





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