世界を巡った旅の教訓は生きていた。「グローバルに考え、ローカルに行動する」ってやつ。
そんなことを考え始めたら、私は嫌になった。
好きなことをやりたい。嫌な奴とは付き合いたくない。
もう、つまらないことに手を染めたくない。これ以上無節操のお先棒を担ぎたくない。
それより、どこか別の場所で暮らしたくなった。まず海外に移住しようと思った。ついで、北海道移住を考えたのだ。
日本に間違っている部分があるのはよく分かっている。しかし、日本は嫌だ、海外で暮らしたいと言ったって、ポルトガルやオーストラリアの、なかば隔離されたような村で夫婦ふたりで慰め合い、支え合って生きて行くのは嫌だ。もっと、行動的で快適な人生を選びたい。
それゆえ、そうした日本の現実からすこし、距離をおいて、残りわずか20年しかない余生を楽しもうと決心したのだ。
美瑛の丘に土地を求めて、僅かにしかならないが、実に多くのことを学習させられた。例えば、生まれて始めて植物や動物に興味をもつようになった。
例えば、地球環境に優しくという念仏のような情緒ではなく、このまま地球の温暖化が進行していけば、この美瑛の丘はどうなるのだろうと、自分の問題として具体的に考えはじめたのだ。
ともあれ、この自分たちの雑木林を歩き回っていると、とても楽しい。木々からの木漏れ日も、吹き抜ける風の音も、白樺の葉や楢の木々越しに見える空の色も、かつてないほど新鮮で目にしみた。
そうしたら、この雑木林が持っている美しさは人間がつくりだしたものだからなのだ、と気がついてきた。これらの林も高々30年か40年前に誰かが、植林して、手をかけ、管理し育ててきたものなのだ。
木を切って薪割りをしてみたら、そのいくつかの作業はただの労働を越える意味をもっていることが分かった。木は元から割らねばならない。節を避け、横ではなく縦に割らねばならないのだった。私の想像以上に薪割りは頭脳労働だったのだ。
千聞をこえ、万語をしのぐ、一見というものだった。
美瑛の丘で暮らしながら、そうした一見一見を通じて、私の50代はやがて回帰し再生されていくのだろう、と夢みたのだった。
ウインストン・チャーチルはこう言っている。
「我々は住まい(DWELLING)を作るが、やがて、住まいは私たち自身を形つくる」

続編『美瑛の丘で暮らす』へ・・・・
好きなことをやりたい。嫌な奴とは付き合いたくない。
もう、つまらないことに手を染めたくない。これ以上無節操のお先棒を担ぎたくない。
それより、どこか別の場所で暮らしたくなった。まず海外に移住しようと思った。ついで、北海道移住を考えたのだ。
日本に間違っている部分があるのはよく分かっている。しかし、日本は嫌だ、海外で暮らしたいと言ったって、ポルトガルやオーストラリアの、なかば隔離されたような村で夫婦ふたりで慰め合い、支え合って生きて行くのは嫌だ。もっと、行動的で快適な人生を選びたい。
それゆえ、そうした日本の現実からすこし、距離をおいて、残りわずか20年しかない余生を楽しもうと決心したのだ。
美瑛の丘に土地を求めて、僅かにしかならないが、実に多くのことを学習させられた。例えば、生まれて始めて植物や動物に興味をもつようになった。例えば、地球環境に優しくという念仏のような情緒ではなく、このまま地球の温暖化が進行していけば、この美瑛の丘はどうなるのだろうと、自分の問題として具体的に考えはじめたのだ。
ともあれ、この自分たちの雑木林を歩き回っていると、とても楽しい。木々からの木漏れ日も、吹き抜ける風の音も、白樺の葉や楢の木々越しに見える空の色も、かつてないほど新鮮で目にしみた。
そうしたら、この雑木林が持っている美しさは人間がつくりだしたものだからなのだ、と気がついてきた。これらの林も高々30年か40年前に誰かが、植林して、手をかけ、管理し育ててきたものなのだ。
木を切って薪割りをしてみたら、そのいくつかの作業はただの労働を越える意味をもっていることが分かった。木は元から割らねばならない。節を避け、横ではなく縦に割らねばならないのだった。私の想像以上に薪割りは頭脳労働だったのだ。
千聞をこえ、万語をしのぐ、一見というものだった。
美瑛の丘で暮らしながら、そうした一見一見を通じて、私の50代はやがて回帰し再生されていくのだろう、と夢みたのだった。
ウインストン・チャーチルはこう言っている。
「我々は住まい(DWELLING)を作るが、やがて、住まいは私たち自身を形つくる」

続編『美瑛の丘で暮らす』へ・・・・





