旅・宿・移住

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2007/12/11

やはり、ワケ爺さんが最大の難関。

しかし、どんなに甘いといわれても、私たちは初めてあの美瑛の丘に立って、あの丘をゴム長靴で、ズシズシ歩いたことが忘れられないのだ。
爺さんと一緒に、ここにしようか、あっちにしようかと、約一万坪の林の中を歩きまわったことが頭から消え去らないのだ。あの時の、開墾する屯田兵にでもなったかのような気分。入植するアメリカの開拓民にでもなったような開放感は忘れがたかった。配偶者はどこを見渡しても近所に家がないことに狂喜した。ずっと下の国道の向こうには人家も見えるが、人の姿は見えない。前の麦畑にも赤い屋根の納屋はみえるが人の気配はない。後ろは遙か向こうまで一面の麦畑。ケンとメリーのポプラが見える。はるか向こうまで、パッチワークのように仕切られた畑が連なっている。
旭川方面に落ちていく壮大な夕日は感動的だった。国道を通る遠くのクルマの騒音よりも、周囲の林から聞こえるセミやコウロギの虫たちや、カケスやクマゲラの鳥の鳴き声のほうが遙かに上回っていた。
遠くに山並みをのぞかせている大雪山連峰の険しい山々はときに人を落ち着かない気持ちにさせるかもしれない。しかし、いくつも折り重なるようにつらなっていく美瑛の丘陵は人の気持ちを穏やかにせずにはおかないのだと、私はその時には判り始めていた。

もし、あの時の忘れがたい、感動的な体験がなければあの土地を買うことなどなかった。それまで幾度も繰り返した通常の土地探しでは、私たちが望む土地など買えはしなかったのだ。このせちがない時代にオイシイ話はない。この爺さんは多分危ないヤツだろう。だからこそ、予想もしないルートでこの土地購入の話が私たちに転がり込んできたのだ。
しかし、私には爺さんがとことん悪い人間には思えなかった。強がってはいるが、どこか気弱で純朴そうな部分が確かにある。 一言もらした、数年前に交通事故で亡くなってしまったという一人息子のことが、私には気に掛かっていた。今はワルかもしれないが、徹底したワルではないだろう。爺さんのどこかひょうひょうとしたつかみ所のないタフさを私は嫌いではなかった。
私は行けるとこまで付き合って見ようと思った。 たぶん爺さんにも、いろんな事情があるのだ。これは賭けてみよう。
この爺さんは「この土地を開発業者には任せないよ」と幾度も繰り返していた。
「自分の力でやりたい」のだと言っていた。実際ブルドーザーやユンボ等を使用する、重機作業の操作技術は感心するほど巧かった。あのやり方が爺さんのスタイルなのだ。
少しくらい騙されてもいいや。この爺さんと一緒にこの丘で遊んでみようと、私は決心したのだった。安全で失敗のない人生よりも、転んでは起きあがる人生の方が楽しいのに、決まっているのだ。





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