モンブランの名品「2桁シリーズ」にまつわる物語 その1 『愛の夢』とモンブラン74
「モンブラン」という言葉は、ある人にとっては、マロンペーストがソバ状にデコレーションされたケーキのことかもしれないし、またある人にとっては、フランス−イタリア国境にある西ヨーロッパ最高峰の山のことかもしれない。
万年筆好きにとっては、しかしそれは、1906年に誕生したドイツの万年筆メーカーのことである。「モンブラン」という言葉を聞いた瞬間、紡錘形の黒い万年筆が頭に浮かび、あの<ホワイトスター>が雪の華のように美しく舞い降りてくる。
親しい万年筆愛好家にはモンブランとペリカンの愛用者が実に多い。私自身も、ウォーターマンやパーカー、デュポン、オマス、パイロットも持ってはいるけれど、出番が多いのは、モンブランかペリカンである。桜もいいが、梅もいい。春の花を選ぶ幸せな悩みと同様な幸福を、私は万年筆で味わっている。
和歌子さんというピアニストの友人がいる。彼女は、音楽大学へ進学するために、昼はホテルのロビーで、夜は三ツ星レストランと高級クラブで、週末は結婚式の披露宴でピアノの演奏をしていた。一日も休まず、ただひたすら鍵盤をたたいていた。技量は充分備わっていたのだけれど、卒業までに必要な学費を自分でまかなおうとしていた。端麗な容姿だったので、良縁の話がいくつも舞い込んだらしいが、ピアニストになる夢をあきらめなかった。
あの頃。もう、7、8年前のことだけれど、ときどき、和歌子さんに誘われて、西麻布や青山にあるカジュアルレストランで、深夜0時以降、おしゃべりをしながら食事を楽しんだものだった。
仕事が終わると和歌子さんはタクシーで駆けつける。時間通りに終えられなかったり、タクシーがなかなか拾えなかったりするので、私はレストランで、葉書を書いたり、手帳をつけたりして待っていた。
「お待たせ! 遅くなってごめんね」
昼過ぎからピアノを弾き続けて、疲労が相当溜まっているのだろうけれど、辛い表情を浮かべたりすることはなかった。いつもやさしく語りかけてくる。
「今日は、なんの万年筆を使っているの? 鳥さんの万年筆かしら? 星さんのほうかしら?」
和歌子さんが言う<鳥さんの万年筆>とはペリカン万年筆のことで、<星さん>とはモンブランの万年筆のことである。
「万年筆って素敵だなぁって思うけど、ピアニストには色鉛筆だわ。譜面に書き込んでいくには、赤や青やグリーンの色鉛筆じゃなきゃ駄目なの。でも足チャンのおかげで、星さんと鳥さんの万年筆だけは見分けられるようになったわ」
「もし持つとしたら、どっちの万年筆がいい?」
「星さんのほうだわ。足チャンがよく使っている細身の、金色のキャップの万年筆が、すっきりとしていて好き」
モンブラン74のことだ。モダンなデザインでありながら、どこかなつかしい感じがする、1960年代に作られた名品だ。
先日、久しぶりに和歌子さんと電話で話しをした。
「モンブランの大きなブティックが銀座にできていて驚いちゃった。中に入って、あの万年筆を探したの…」
「なかったでしょう」
「そうなの。太い万年筆はあったのよ。でも金色のキャップのは…」
「40年前のものだからね」
「そうだったの!そんなに古いものだったなんて…。大切に使われて幸せな万年筆ね。この万年筆にはリストの『愛の夢』がふさわしいわ」
「どうして?」
「『愛の夢』は3つの夜想曲の中の1曲なの。『愛の夢』の第3番には『おお、愛しうる限り愛せ』っていうタイトルがついているのよ」
和歌子さんはいま音楽大学に通っている。コンクールが近いらしい。
「演奏会によかったら来てね」
もし『愛の夢』を披露するようなら、胸にモンブラン74を挿して行こうと思う。

親しい万年筆愛好家にはモンブランとペリカンの愛用者が実に多い。私自身も、ウォーターマンやパーカー、デュポン、オマス、パイロットも持ってはいるけれど、出番が多いのは、モンブランかペリカンである。桜もいいが、梅もいい。春の花を選ぶ幸せな悩みと同様な幸福を、私は万年筆で味わっている。
和歌子さんというピアニストの友人がいる。彼女は、音楽大学へ進学するために、昼はホテルのロビーで、夜は三ツ星レストランと高級クラブで、週末は結婚式の披露宴でピアノの演奏をしていた。一日も休まず、ただひたすら鍵盤をたたいていた。技量は充分備わっていたのだけれど、卒業までに必要な学費を自分でまかなおうとしていた。端麗な容姿だったので、良縁の話がいくつも舞い込んだらしいが、ピアニストになる夢をあきらめなかった。
あの頃。もう、7、8年前のことだけれど、ときどき、和歌子さんに誘われて、西麻布や青山にあるカジュアルレストランで、深夜0時以降、おしゃべりをしながら食事を楽しんだものだった。
仕事が終わると和歌子さんはタクシーで駆けつける。時間通りに終えられなかったり、タクシーがなかなか拾えなかったりするので、私はレストランで、葉書を書いたり、手帳をつけたりして待っていた。
「お待たせ! 遅くなってごめんね」
昼過ぎからピアノを弾き続けて、疲労が相当溜まっているのだろうけれど、辛い表情を浮かべたりすることはなかった。いつもやさしく語りかけてくる。
「今日は、なんの万年筆を使っているの? 鳥さんの万年筆かしら? 星さんのほうかしら?」
和歌子さんが言う<鳥さんの万年筆>とはペリカン万年筆のことで、<星さん>とはモンブランの万年筆のことである。 「万年筆って素敵だなぁって思うけど、ピアニストには色鉛筆だわ。譜面に書き込んでいくには、赤や青やグリーンの色鉛筆じゃなきゃ駄目なの。でも足チャンのおかげで、星さんと鳥さんの万年筆だけは見分けられるようになったわ」
「もし持つとしたら、どっちの万年筆がいい?」
「星さんのほうだわ。足チャンがよく使っている細身の、金色のキャップの万年筆が、すっきりとしていて好き」
モンブラン74のことだ。モダンなデザインでありながら、どこかなつかしい感じがする、1960年代に作られた名品だ。
先日、久しぶりに和歌子さんと電話で話しをした。 「モンブランの大きなブティックが銀座にできていて驚いちゃった。中に入って、あの万年筆を探したの…」
「なかったでしょう」
「そうなの。太い万年筆はあったのよ。でも金色のキャップのは…」
「40年前のものだからね」
「そうだったの!そんなに古いものだったなんて…。大切に使われて幸せな万年筆ね。この万年筆にはリストの『愛の夢』がふさわしいわ」
「どうして?」
「『愛の夢』は3つの夜想曲の中の1曲なの。『愛の夢』の第3番には『おお、愛しうる限り愛せ』っていうタイトルがついているのよ」
和歌子さんはいま音楽大学に通っている。コンクールが近いらしい。
「演奏会によかったら来てね」
もし『愛の夢』を披露するようなら、胸にモンブラン74を挿して行こうと思う。







