ペリカン万年筆を愛するみなさんへのメッセージ・後篇
前回に続いて、ペリカン500Nというレアなヴィンテージ・ペリカンを所有している3人の友人に宛てたメッセージです。
金ペン堂でペリカン500Nを手に入れた唐木順三氏は、さっそく「ペリカン記」を執筆し始めます。
「…私はいま、この原稿を、昨夜持帰ったペリカンで書いているのである。新しい嫁を迎え入れた家は、その嫁がたとえどんなに気立てのよい嫁であっても、しばらくはなんとなくぎこちないところがあるに違いない。家風の中にとけこみ、なじみ、一切のへだてがなくなってしまうのには一年二年の歳月が必要だろう。私はいま新しい万年筆でこの文章を綴りながらそういうことを感じている。まだなんとなくエトランジェのようなところがある。ピカピカと光っているキャップにも、ペンさきの金の反射にも、それを感じる。これがしんそこ私の手の延長になるためには多少の歳月が必要だろう…」
なんというやさしい視線でしょうか。おもわず微笑んでしまいます。
ペリカン400シリーズの最終モデル“400NN”の生産が打ち切られたのは1963年のことですから、金ペン堂の店主、古矢健二さんの記憶では、唐木氏がやってきた66年には、ペリカン400シリーズはとっくに姿を消していたそうです。それでも、書痙(しょけい)になることを恐れて、腰のやわらかい、太字の万年筆を探し求めてやってくる多くの作家のためにと古矢さんは目を皿のようにして探していたといいます。やっと手に入れたヴィンテージのペリカンは、唐木氏の後、井上ひさし氏や大江健三郎氏、畑正憲氏らの許へと嫁いで行ったそうです。そして、もう一人…。
ここに1本のペリカン500NN(500Nの後継モデル。1957年から63年まで製造)があります。持ち主は、書家の黒住文規さんです。
黒住さんの御名前をもし御存知でしたら、書の世界に相当お詳しい方です。「…現書壇とは一線を画し、己の感覚に全的信頼をおくことを何より第一義として各自、古典を中心に書に取り組んできました…」と御本人がおっしゃっていますが、発熱しながら目まぐるしく動くパソコンや、見えない鎖につながれたかのような携帯電話や、疲弊しきった二番煎じ三番煎じのテレビや雑誌とは無縁のところで、ただただ、来る日も来る日も、しずかに書いて、ひたむきに書いて、ひとすじに書いて、の日々を送っていらっしゃる先生です。
「30年くらい前になりますかねぇ。書家として人生を歩んでいこうと心に誓った際に、私にとって最高の一本と思われる万年筆を売ってください、ってお願いしたら、金ペン堂さんが譲ってくださったのです…」
「もう30年になるねぇ。ちょっとペン先を見ておこうか」
懐かしそうに黒住さんの話を聞いていた古矢さんが、500NNを受け取ると生地見でペン先をのぞきはじめました。
「出来のいい中太字だね。丁寧に使ってくれているから、あと30年、いや50年は充分使えるな」
黒住さんの筆圧はほとんどゼロに近く、紙に押し付ける力がほとんどない状態で線を引くのでペン先のイリジュームが減らないのです。
「見るか?」
古矢さんから500NNを受け取った私は、キャップを見て、仰天しました。
黒住さんは、筆を持つように、万年筆の後方、キャップを挟むようにして万年筆をお使いになるのですが、指のかかる部分の金張りが長年の使用で剥げて、地の真鍮が顔を現しているのです!
なんて、美しいんだ!

へそ天さん、和太郎さん、シンヤさん、コレと決めた万年筆を毎日、大事に、使い続けていきたいものだと私は思いを新たにしました。
30年後、それぞれのペリカンを見せ合いたいものです。
(筆者からのおことわり:文中の「ペリカン記」は平易に読んでいただくことを目的に現代仮名遣いと新字体に改めました)
「…私はいま、この原稿を、昨夜持帰ったペリカンで書いているのである。新しい嫁を迎え入れた家は、その嫁がたとえどんなに気立てのよい嫁であっても、しばらくはなんとなくぎこちないところがあるに違いない。家風の中にとけこみ、なじみ、一切のへだてがなくなってしまうのには一年二年の歳月が必要だろう。私はいま新しい万年筆でこの文章を綴りながらそういうことを感じている。まだなんとなくエトランジェのようなところがある。ピカピカと光っているキャップにも、ペンさきの金の反射にも、それを感じる。これがしんそこ私の手の延長になるためには多少の歳月が必要だろう…」 なんというやさしい視線でしょうか。おもわず微笑んでしまいます。
ペリカン400シリーズの最終モデル“400NN”の生産が打ち切られたのは1963年のことですから、金ペン堂の店主、古矢健二さんの記憶では、唐木氏がやってきた66年には、ペリカン400シリーズはとっくに姿を消していたそうです。それでも、書痙(しょけい)になることを恐れて、腰のやわらかい、太字の万年筆を探し求めてやってくる多くの作家のためにと古矢さんは目を皿のようにして探していたといいます。やっと手に入れたヴィンテージのペリカンは、唐木氏の後、井上ひさし氏や大江健三郎氏、畑正憲氏らの許へと嫁いで行ったそうです。そして、もう一人…。
ここに1本のペリカン500NN(500Nの後継モデル。1957年から63年まで製造)があります。持ち主は、書家の黒住文規さんです。
黒住さんの御名前をもし御存知でしたら、書の世界に相当お詳しい方です。「…現書壇とは一線を画し、己の感覚に全的信頼をおくことを何より第一義として各自、古典を中心に書に取り組んできました…」と御本人がおっしゃっていますが、発熱しながら目まぐるしく動くパソコンや、見えない鎖につながれたかのような携帯電話や、疲弊しきった二番煎じ三番煎じのテレビや雑誌とは無縁のところで、ただただ、来る日も来る日も、しずかに書いて、ひたむきに書いて、ひとすじに書いて、の日々を送っていらっしゃる先生です。
「30年くらい前になりますかねぇ。書家として人生を歩んでいこうと心に誓った際に、私にとって最高の一本と思われる万年筆を売ってください、ってお願いしたら、金ペン堂さんが譲ってくださったのです…」
「もう30年になるねぇ。ちょっとペン先を見ておこうか」
懐かしそうに黒住さんの話を聞いていた古矢さんが、500NNを受け取ると生地見でペン先をのぞきはじめました。
「出来のいい中太字だね。丁寧に使ってくれているから、あと30年、いや50年は充分使えるな」
黒住さんの筆圧はほとんどゼロに近く、紙に押し付ける力がほとんどない状態で線を引くのでペン先のイリジュームが減らないのです。
「見るか?」
古矢さんから500NNを受け取った私は、キャップを見て、仰天しました。
黒住さんは、筆を持つように、万年筆の後方、キャップを挟むようにして万年筆をお使いになるのですが、指のかかる部分の金張りが長年の使用で剥げて、地の真鍮が顔を現しているのです!
なんて、美しいんだ!

へそ天さん、和太郎さん、シンヤさん、コレと決めた万年筆を毎日、大事に、使い続けていきたいものだと私は思いを新たにしました。 30年後、それぞれのペリカンを見せ合いたいものです。
(筆者からのおことわり:文中の「ペリカン記」は平易に読んでいただくことを目的に現代仮名遣いと新字体に改めました)






