はじまりはモンブラン・マイスターシュテック149(イチヨンキュー)だった
70年代後半、モンブランでは、ディスプレイ用に、大砲をイメージした木製のペン置きを作っていた。そのペン置きに乗せられた149が文房具屋のショーケースの中にあって、のぞき込む私に、
「コノ中デ一番イイ万年筆デス。書キヤスサヲ保障シマス。御主人様ニナッテクダサッタラ、一生忠誠を尽クシマス。オ願イデス。ココカラ出シテクダサイ!」
そう懇願したような気がした。
万年筆は試し書きをしてから購入すべし、というのは万年筆のオーナーになるための金科玉条の第1条だけれど、万年筆の「万」の字も知らなかった私は、黒のボディーに金色のクリップとリング。いかにも万年筆らしい葉巻型のフォルムを見ているうちに声なき声を聞いてしまい、書き心地も確認しないままドカーンと勢いで買ってしまったのだった。モンブラン・マイスターシュテック149。記念すべきはじめての万年筆。 さぁ、今日から毎日万年筆を使う生活が始まるんだ。日記でも書き始めようか。手帳を持ち歩こうか。大好きなアノ娘にラヴレターを書いてみようか。教科書やノートの氏名欄はすべてこの万年筆で丁寧に記名するゾ、などと頭の中で描いたのだけれど、泉が湧き出るようにインクがあふれ出てくるからファウンテン・ペンと呼ぶのだと教わっていたのだけれど、わが掌中の149は、紙面に押し付けるように力を加えないとインクが流れ出てこない代物だった。苛立たしいったらありゃしない!なにが、「コノ中デ一番イイ万年筆デス」だ!「書キヤスサヲ保障シマス」だと?「御主人様ニナッテクダサッタラ、一生忠誠を尽クシマス」なんて嘘じゃないか!
本当はこの149が悪いわけじゃなかった。後年、調整をお願いしてわかったことだが、アッセンブルが悪かったのだ。ペン先の調整がされていなかったのだ。きちんと調整さえされていれば、ショーケースの中から聞こえてきたあの声は、嘘にならなかったのだ。世の中の万年筆のほとんどが嘘つき呼ばわりされている…。昔も。今も…。
約30年前の149と現在発売されている149とでは、使っているパーツも変化していてフォルムも微細に異なっている。
書き味も、似て非なるものである。ボールペンやシャープペンが筆記具の中心的存在になっている今、現行商品の149は“タフ・アンド・クール”といった印象になっていて、万年筆を初めて使う人が手にしても難なく使いこなせるはずである。
それに対し、約30年前の149は、“メロー・アンド・スムーズ”。最高の状態にチューンナップして愛用している私の149には、包容力にあふれ、重厚で、奥深い軟らかさを感じる。
この時代の149を「ヴィンテージ万年筆として扱うには、まだ若い」という蒐集家の方もおられるかもしれないが、一部愛好家の間では“開高健モデル”と呼ばれ、新品の現行商品よりも高い値段で取引されている。
うれしいことがあって、久しぶりに「サムシング・スペシャル」を飲んだ。このウイスキーは、開高健さんのエッセイ「この一本の夜々、モンブラン」(『生物としての静物』に所収)にも登場するのだが、特別なことがあったときに一杯だけ飲むことにしている。 メローな味と香りを愉しみながら、149で、満寿屋の原稿用紙の升目を埋めていってみる。実に気持ちがいい。手にしてから今年で29年。ボディーは傷だらけだが、故障したり、インク漏れを起こしたりしたことは一度もなく、期待に応え続けてくれた。
これで、春の手紙を書いてみようかな。こんな文面の…。
「おかげさまで、『男の隠れ家ONLINE』でのアクセスランキングで第1位から第5位までを独占することができました。ありぃがっとぉ!」






