親父にもらったカウチン・セーターは、じんわり嬉しい。
30年前に親父から支給されたカウチン・セーターは、毎シーズンの着用にもびくともせず、僕のアウティング・セーター・コレクションの中核に陣取っている。
70年代末から80年代初めにかけて、大ブレイクしたアウティング・セーターがあった。白頭鷲やサンダーバード、熊、鹿、あるいは鯨やスノーフレークなどをモチーフにした独特の編み込み柄が、胸、両袖に1対ずつ、そして背中にも大きく配置されたヘチマ襟のセーター。ボーダー扱いにされた幾何学模様のパターンが親近感を掻き立てる極太ローゲージのハンド・ニッティング・セーター。そう、カウチン・セーターだ。とにかく、当時のカウチン・セーター人気は凄まじかった。街を歩いても、電車の中でも、この分厚いセーターを着込んだ人と、すれ違わない日は無い。原宿には専門の路面店が現れ、流行を伝える情報誌では常連アイテムとなり、果ては全国版の新聞にまで通販広告が掲載された。そのさなか、当時50代であった、申し分無い外国かぶれの僕の父親は、カウチン・セーターに取り憑かれた。
居間の卓袱台の上には、どこから集めてくるのか、カウチン・セーターに関する様々な情報が詰まったスクラップが日に日に増えていく。当時すでに「POPEYE」で見習いをやっていた僕は、同誌でも盛んにその情報を取り上げていたこともあって、自分なりに蘊蓄は備えていたつもりでいたのだが、父親が集めた情報量には敵わなかった。とくに価格に関する情報収集は圧巻で、どこで買ったら「お得」なのか、僕は父親から情報を仕入れていた。
クリスマスも近いある日、父親にどこからか大きな段ボール箱が配送されてきた。仕事を終えて帰宅した父親は着替えもそこそこに嬉々としてその段ボールのふたを開ける。顔を出したのはそれぞれ柄違いの4枚のカウチン・セーターだった。その夜、父親は自分も含め、妻、息子、娘の銘々にカウチン・セーターを支給したのだ。ずしりと重量感のあるそのセーターのタグには「TUAK - Hand Knit in Canada」と記されていた。すでに父親は他界し、僕は当時の父親と同年齢を迎えている。あれから30年余りになるだろうか。そのカウチン・セーターは毎シーズン着用を重ねて来ているのに、びくともしない。本物のカウチン・セーターは80年持つ。当時言われていたそんなフレーズもあながち嘘ではなさそうだ。そして、僕はこのセーターに袖を通すたびに、高嶺の花であったカウチンを父親から手渡されたときに沸き上がった、じんわり沁みる嬉しさを思い出すのだ。






