名店探訪/仙台・おでん三吉
●屋台から始まった人生
初代の田村三郎さんは県庁に勤めていましたが、戦後に退職して、知人の勧めで屋台を始めました。
「当時の定禅寺通りは荷車がやっとすれ違えるような狭い道で、もちろん今みたいに舗装されていないから雨が降るとどろんこさ。おまけにいつ立ち退き命令があるかわからない。
だけど、オレはもう夢中だったよ。おふくろや女房、子供を食わしていかなきゃならねえ。それにお金を高利貸しから借りたから、一日二百円ずつ返さなければならない」(田村三郎著『出逢いが人生さ』より)
客商売は初めてでしたが、県庁時代の同僚が集まってくれました。当時のメニューは、うどんと酒、焼酎、タコの刺し身に大根おろしをかけたものぐらい。仲間に恵まれて店は大繁盛し、5か月後には屋台の裏側に3畳と4畳半の小屋を建て、その2年後には、今の場所に店を構えることになりました。

●焼き干しは「おふくろの味」
三郎さんはねじり鉢巻きをトレードマークにして、威勢のいい秋田弁の口調と人懐っこい笑顔で、多くのファンを獲得しました。
言いたいことがあれば、相手がだれであろうとはっきり言うし、それが逆に相談事を持ち込まれ、「三吉の親父」と親しみをもって呼ばれた由縁でもあります。その名物親父も1999年の春に亡くなり、常連客は寂しさをかみしめました。
店主の死亡は地元ラジオ局のニュースでも流され、テレビ2社、新聞4社が報道したそうです。おでん屋の主人の死去がこれだけ取り上げられたことからも、故人の人柄がうかがえます。
屋台でおでんを出すようになって、三郎さんはだし作りに苦労していました。評判の店を訪ねて研究するものの、思うようになりません。そこでふと思い出したのが、生まれ育った秋田で母親が作っていた味噌汁の味でした。毎日すすっていた味噌汁のだしは、イワシの焼き干しだったのです。
■おでん三吉
住所:仙台市青葉区一番町4-10-8
電話:022-222-3830
営業時間:11:30〜13:30、16:30〜23:00
定休日:日・祝
初代の田村三郎さんは県庁に勤めていましたが、戦後に退職して、知人の勧めで屋台を始めました。
「当時の定禅寺通りは荷車がやっとすれ違えるような狭い道で、もちろん今みたいに舗装されていないから雨が降るとどろんこさ。おまけにいつ立ち退き命令があるかわからない。
だけど、オレはもう夢中だったよ。おふくろや女房、子供を食わしていかなきゃならねえ。それにお金を高利貸しから借りたから、一日二百円ずつ返さなければならない」(田村三郎著『出逢いが人生さ』より)
客商売は初めてでしたが、県庁時代の同僚が集まってくれました。当時のメニューは、うどんと酒、焼酎、タコの刺し身に大根おろしをかけたものぐらい。仲間に恵まれて店は大繁盛し、5か月後には屋台の裏側に3畳と4畳半の小屋を建て、その2年後には、今の場所に店を構えることになりました。

●焼き干しは「おふくろの味」
三郎さんはねじり鉢巻きをトレードマークにして、威勢のいい秋田弁の口調と人懐っこい笑顔で、多くのファンを獲得しました。
言いたいことがあれば、相手がだれであろうとはっきり言うし、それが逆に相談事を持ち込まれ、「三吉の親父」と親しみをもって呼ばれた由縁でもあります。その名物親父も1999年の春に亡くなり、常連客は寂しさをかみしめました。
店主の死亡は地元ラジオ局のニュースでも流され、テレビ2社、新聞4社が報道したそうです。おでん屋の主人の死去がこれだけ取り上げられたことからも、故人の人柄がうかがえます。
屋台でおでんを出すようになって、三郎さんはだし作りに苦労していました。評判の店を訪ねて研究するものの、思うようになりません。そこでふと思い出したのが、生まれ育った秋田で母親が作っていた味噌汁の味でした。毎日すすっていた味噌汁のだしは、イワシの焼き干しだったのです。
■おでん三吉
住所:仙台市青葉区一番町4-10-8
電話:022-222-3830
営業時間:11:30〜13:30、16:30〜23:00
定休日:日・祝






