酒の旅人・街道筋の蔵 北国街道・加賀路その1 安宅関で知られる小松と、「加賀の月」の蔵へ
北国街道は琵琶湖の湖東・近江国の彦根を基点にして、そのまま北上し、日本海沿岸を縫いながら加賀、越中、越後を経て、出羽国の西端・鼠ケ関に至る壮大な街道である。そのため加賀路、越中路、越後路といった地方を代表する街道名をつけて呼ばれるようになった。

その北国街道のひとつ、加賀路の小松に今、私は立っている。ここから金沢に向かい、能登路を歩き、再び金沢に戻って越中路を目指す。そして魚津、黒部周辺を探訪してみようと思っている。
歌舞伎の名場面「勧進帳」の舞台へ
小松は大観光地・金沢を控えているせいか、地味な街である。人口も10〜11万を前後してこの20〜30年変わっていない。15世紀末の戦国時代に、一向一揆の拠点となったことで知られるが、資料はほとんど残っていないという。小松が栄えていくのは江戸初期、前田家三代目当主の利常が隠居地としてからである。城が築かれ、城下町として発展した。越前加賀海岸に流れる梯川の沖積平野に市街地がある。
小松を最も有名にしているのは「安宅関」(あたかのせき)だ。12世紀末、源義経は兄の頼朝に追われ、武蔵坊弁慶らと山伏に変装して、奥州平泉の藤原秀衡を頼って落ちのびる途中、この関にさしかかる。だが安宅関は頼朝の命によって厳重な警備がされていた。正体を見破られそうになった弁慶は、とっさに主従関係を逆転させ、「貴様が足弱なために義経と思われて、皆が疑われてしまうのだ」と義経を金剛杖で打ちすえ、事無く通過する。だが実は、関守・富樫泰家は弁慶の苦衷を察知していた。能の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」の名場面である。現在ここには関跡を示す石標のほか、弁慶と義経、富樫泰家の銅像が設置されているが、このできごとには諸説があり、関はなくて「安宅の渡」だったともいわれる。




