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2008/09/20

酒の旅人・街道筋の蔵 山陰道・出雲路 その5 石見銀山探訪

市が立ってにぎわった銀山の町「大森宿」

この発展によって、銀山を媒介にした石見を目指す街道がいくつも造られることになる。銀山のある大森の町(大田市)には市が立ち、坑夫たちだけでなく武士、商人、職人と20万人もの人たちでにぎわったという。当然、物資の流通も激しく、国の経済を大きく動かしていった。

「もし、石見銀山が徳川の直轄地・天領でなかったなら、石見は日本の経済大国になっていただろう」と、地元の人が話していたが、石見銀山資料を調べていくほど、この恨みに似た発言はうなづけてしまう。

石見銀山の間歩(まぶ=坑道)は広域に渡るが、現在、公開されているのは龍源寺間歩と栃畑新坑道だけ。この日、坑道内を歩いたが、高さ1.6〜2.1m、幅0.9〜1.5mで、身体をかがめなくては通れない所もある。坑夫がノミで掘った跡が残っていて、よく見ると所々にキラキラ輝く銀鉱石のクズが転がっているのがわかる。坑内は夏に歩けば滅法寒いほどに涼しく、冬は温度がほぼ一定だろうから逆に暖かく感じるだろう。当時、坑夫たちがどんな労働環境下に置かれていたかも、うかがい知ることができる。肺を患い若くして亡くなった坑夫も多かったという。(この稿続く)





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