酒・食・名店

Column Title : 

  •  PR  
2008/04/06

スローボートで巡る至福のブルゴーニュ

ワイン以外のあらゆる酒が、どうしてもワインに及ばないのは、そこから生まれた物語や言葉やエピソードの数である。ワインほど多くの人に様々な思いを語らせる酒はない。太古、神話の時代からワインについての伝説や諺は多いが、古代ギリシャ、ローマ時代あたりからは、ワインにまつわる言葉を誰が語ったかがはっきりと分かってくるのだ。 

紀元前600年頃から古代ギリシャの貴族文化人、裕福な商人たちが豪華な食事の間で美女を侍らせ、長椅子にゆったり横たわってワインを酌み交わしながら、熱心にひとつのテーマについて討論しあったことをシュポシオン(ともに飲みつつ討論を重ねる)といい、それが現在のシンポジウムになったわけだが、このシュポシオンで、きまって最初のテーマに取り上げられたのは、彼らが手にしたワインだった。

「国家」や「饗宴」を著したプラトンは、師のソクラテスが「国を作り上げていく人々は、その暮らしを食べ物とワインと着るものと履くものから作り始める」「適量のワインは胃袋にではなく、甘く麗しい朝露のように肺に滴り落ちる」と語ったと記し、プラトン自身も、「18歳以前は絶対にワインを飲んではならない。火に油を継ぎ足すようなものだから。30歳までは適度にワインを飲んでもいいが、酔態をさらしたり、飲み過ぎたりするべからず。神々、特にデュオニソスを招きあやかって、年老いた者の聖なる儀式を行い、陽気に浮かれ騒いでもいいのは、40歳になってからだ。なぜならその時、ワインこそ彼らが背負っている人生の重荷を軽くし、若さを甦らせ、絶望的な思いを忘れさせてくれるから」と書いている。

私たちがワインを楽しむ機会といえば、毎日の食事の時がいちばん多いもの。そして、何かの記念日やお祝い、またお客さんを招いたときに飲むワイン。つまりワインはカジュアルにもフォーマルにも、両方の楽しみ方ができる、別な意味でコストパフォーマンスの高いお酒なのだ。

どちらにしても、ワインは時を共有している人と一緒に、そして料理とともに味わうお酒で、あとにその楽しかった記憶が残ることが大切。ワインはそのための手段。すなわち、一本のワインを飲みながら、いかに人との出会いや素晴らしい食事を満喫できるかが大事であるかを知ってほしい。日本人はワインというと、とかく難しく考えがち。理屈から入ろうとするからで、考える前に、まず飲んで楽しんでみることがいちばん

ワインの歴史と文化のあるフランス、ドイツ、イタリアには、ワインのガイドブックは少なく、日常的に皆おおらかに飲んでいる。屋外で家族や友人たちと、わいわいお喋りに興じながら楽しむことが基本である。緑の木立の下で、また川辺や湖畔でのアウトドア・ランチの時に飲むワインの味は、ひときわ格別なのだ。日本酒には独り酒という飲み方もあるが、ワインには似合わない。やはり、気のおけない相手がいてこそのお酒なのだとつくづく思う。

ブルゴーニュのワイン生産者は、ワイン造り一筋の一徹者が多い。だからとっつきにくく、話もまともに出来ないのではいかと気を揉むが、実際に会って話をしてみると、それは杞憂だったことが分かる。これ以上親しみやすく、楽しい人々はいない。ブルゴーニュの楽しみのひとつは、この生産者巡りにある。

ブルゴーニュワインは、よく「ワインの王様」と例えられる。「ワインの女王」と呼ばれるボルドーと比べ、味わいの力強さや豊かな香りが格別なことから、そう表現されるようになったと言われる。また、世界中のワインの中で、ブルゴーニュほど、王や歴史的人物が好んだという華やかなエピソードが多いワインもない。それらのエピソードについては長くなるから別の機会に述べることにするが、赤はピノ・ノワール、白はシャルドネを中心として世界中のワインラバーを魅了し続けていて、私もそのうちの一人である。特に、優れた造り手による熟したピノ・ノワール酒の素晴らしさといったら最高中の最高なのだ。

日常の瑣末な事に忙殺され、ブルゴーニュの生産者巡りもなかなか実現出来ない私だが、現役を引退したらぜひ実現してみたい旅行がある。





この記事のトラックバックURL:

特集

何も足さない究極の「原音」に触れる 「知名御多出横」
会員登録プレゼント

新着こだわりコラム

カーライフ最前線

2008/12/01 カーライフ最… クリスマス…

男のガーデニング

2008/11/30 男のガーデニ… いずれ椿か…

旨い日本酒

2008/11/29 旨い日本酒 酒の旅人・…

70's 大人のロック

2008/11/28 70… ディーバの…

大人の男のためのオペラ入門塾

2008/11/28 大人の男のた… 指揮者につ…