バック・トゥ・ザ・フューチャー50sコーヒー物語
コーヒーが日本で大衆に受け入れられたのは、いつからでしょうか?
コーヒーは明治時代になって輸入が開始されて、東京や大阪などの大都市部では、コーヒーを提供する料理店・サロン等が誕生していきました。昭和10年ごろになるとアルコールを出さずにコーヒーのみの営業なら深夜までの営業が許可されたために、大都市を中心に【純喫茶】という形態の店が次々にオープンしたそうです。(参考:伊藤博著 コーヒー辞典)。しかしすぐに戦火のためコーヒーの供給は滞り、本格的な大衆的コーヒー文化の到来は戦後を待つことと成ります。
私を含めて40代、50代以下の人たちではあまり馴染みがない名前かもしれませんが、歴史のある喫茶店で、中野のクラシックという喫茶店がひっそりと最近幕を閉じたと報じられました。クラシックが全盛であった1950年代後半、20代前半の若者だった私の両親も常連でよく通ったそうです。 いわゆる昭和ひとけた生まれの私の両親は、戦前の重い空気から一変して、戦後の自由な空気、豊かな大衆的欧米文化を一気に洗礼を受けた世代だと思います。彼らの青春時代である1950年代後半は、人々はまだ質素な暮らしでしたが戦後復興が軌道に乗りはじめ、人々に明るさが戻ってきたときでした。ちなみにアメリカでは映画アメリカングラフィティーのような豊かな青春時代に象徴されるように、未来に希望を持つわくわくした時代でもありました。
フィフティーズ:日本の喫茶店カルチャー
住宅事情の悪い、当時の若者にとっては、喫茶店は大切なおしゃべりの場であり、落ち着ける場所でした、しかし気軽に、時間つぶしに入ることも出来る、今のカフェや喫茶店とはちょっと違い、すこし気張ってカッコをつけていくところ、調度品がよかったり、インテリアにこっていたり、雰囲気を味わう、デートをしにいく、また個人がステレオのない時代でしたから、じっくりと音楽を聴きに行くところでもありました。 しかし喫茶店は、今のように各駅停車の駅にも、バス停の前にもというように、どこにでもあるものではなく、比較的大きな駅の近くや繁華街に集中してありました。東京で言うなら新宿、池袋、渋谷、新橋・銀座、丸の内・有楽町界隈、中野とかです。
当時の喫茶店は音楽喫茶というものが主流で、代表的なところは新宿や新橋にあった田園、中野のクラシック、新橋にランブルなどがありました。
一人で行きゆっくりと音楽(主にクラシック)を聞きながら、本を読んだり、またデートをするところでした。また当時は娯楽の王様は映画や演劇でしたから、映画を見た後に喫茶店に行き、内容について語り合うなど、ちょっと硬派的な使われ方も多かったようです。
私の両親は、共に演劇に夢中でしたので、演劇を見ると帰りに喫茶店に必ず立ち寄ったといいます。




