不許可写真集パート3 恥ずかしい街角の記憶
机を整理していたら、過去のアイロニング写真がたくさん出てきた。過去に何度もやってきた、今では完全に封印している街中でのアイロニング写真の数々である。今見るとかなり恥ずかしい行為なのだが、これも我がEIJの歴史の一面。僕にとっては、ある意味すべてが感慨深い写真なのである。
エクストリームアイロニングを始めた当初、僕はアイロンとアイロン台を抱え、仲間と共にさっそうと街に繰り出していた。当時の僕は、手軽にエクストリームアイロニングを楽しめるのは街の中であると思っていたからである。そしてその後、街の中でのアイロン掛けからは何の達成感や満足感も得られないことを思い知った僕は、街の中でのアイロン掛けを完全に封印したのである。しかし、そこに到るまでの期間、僕らEIJメンバーらは街でのアイロン掛けを繰り返し、それはそれは厳しい世間の冷たい視線を全身に浴び続けたものである。僕らアイロニストが世間一般から「一発芸的馬鹿パフォーマンス集団」と見られてしまうきっかけとなったのは、何を隠そうこの街中でのアイロン掛けなのであった。しかし、これも僕らが手探りでアイロニングの道を歩んだ誇りある歴史。こういう経験があったからこそ今があるのだ。ある意味、EIJ的負の遺産である街角でのアイロニング。それではご覧頂きたい。

これは非常に貴重な写真である。僕の背中をアイロン台代わりにしてアイロンを掛けているのは、EIJの新井アイロニストである。これは、たぶん筑波山で初めてアイロニングをした頃の写真だと思う。当時、僕はアイロン台が無くてもアイロンさえあればいい、という甘い考えを持っており、アイロン台はあまり持ち歩いていなかった。理由は簡単。アイロン台は大きいし邪魔だからである。しかしカバンには常にアイロンを入れて持ち歩き、事あるごとにアイロンを取り出し、そこでサッとアイロン掛けをしていたのだ。当時、僕のエクストリームアイロニングに対する思いは、まだまだオフザケ的感覚に支配されていたのだ。まあ今もそういう感覚がゼロとは言えないが。

これはJR飯田橋駅前でのアイロニング写真である。丹代(たんだい)アイロニストと共に飯田橋と神楽坂周辺に展開した僕は、この日、彼と共に狂ったようにアイロン掛けをしまくった記憶がある。神楽坂でアイロニングをしていると、丹代アイロニストがおばさんグループの質問攻めに会い、「かなり死にたい気分」と漏らしていたのが今も記憶に新しい。

東京駅・丸の内サイドでのアイロニング画像。アイロンを掛けているのは丹代アイロニストである。このエリアは人も多いが警官も多い。パトカーがゆっくりと徐行運転しながら丹代を睨みつけていったが、別に注意はされなかった。当初、僕らはとにかく「衆人環視の下でのアイロニングもエクストリームである」という英国本部の教えを忠実に守っていたのだ。どこでやっても、どんなに人に見られていても、アイロン掛けをすれば気分はリビングルームでの癒し掛け。そんな思いを胸に、僕らは街角に立っていた。先駆者としての誇りみたいなものを、僕は街角でのアイロン掛けにおいてもひしひしと感じていたが、そこに達成感や満足感は一切無かったように思う。あるのは、例えようもない違和感だけなのであった。

人でごったがえす渋谷駅前スクランブル交差点。ちょうど中央で僕がアイロン掛けをしているのが判るだろうか。エクストリームアイロニングをはじめた当初、僕は様々な街角でのアイロニングに挑んだが、この渋谷での瞬間が最も恥ずかしかったと記憶している。後ろのほうからヒソヒソと僕の行為を話す声が聞こえ、多くの人たちが遠巻きに僕のアイロニングを携帯のカメラで撮っていった。このあたりから僕は「街で行うアイロン掛けには、スポーツ性はおろか、達成感も満足感も存在せず、あるのはただ恥ずかしさのみ」という感覚を強く持ったように思う。でも一応ハチ公前でもやった。午後3時、僕がアイロンを掛け始めたら、ハチ公前から人が突如としてサーッと居なくなったという、これはまるで奇跡のような一枚と言える。








