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2008/01/22

底なし的捕鯨問題 ひとまずアイロニングはおいといて考えましょう。

巷でまたもヒートアップしている捕鯨問題。正直言って捕鯨問題とエクストリームアイロニングはあまり関係がない。しかし、国を挙げての反捕鯨キャンペーンに取り組むオーストラリアに住み、しかも当地で環境学を学んだアイロニストである僕にとって、この捕鯨問題は当時から相当根深く厳しい難題であった。だからあえてここに捕鯨問題について書くことにした。今書くことに意義があると感じたからだ。

日本は、誰がなんと言おうが捕鯨大国である。ノルウェーやアイスランド、そして日本のような現行捕鯨国にとっての鯨は、その食文化的背景も手伝って今も基本的には「食用」という認識が根強くある。一方、現在反捕鯨を唱えている国々にとっての鯨は、昔は産業的資源という認識で、今は単純に「野生動物」という感覚で接している。この考え方の違いが、捕鯨問題において大きな溝を作っているのは明らかだ。

鯨は昔から日本人には身近な食料だった。学校給食で出る鯨の竜田揚げは僕の好物だったし、家では鯨の缶詰をよく食べていた記憶もある。たぶん鯨肉を食べた事のない日本人はいないんじゃないか、と思える程、鯨肉というのは身近でよく口にする食べ物だった。そういえば軟式テニスラケットのガットにも、確か鯨が使われていたっけな。

現在反捕鯨を唱える国のほとんども、一昔前までは商業捕鯨国だったところが多い。江戸時代後期には、アメリカやイギリスなどから来た大捕鯨船団が、産業的資源としての鯨のひげ歯や油などを採取するために、競って日本近海にて捕鯨活動を行っていたそうだ。その結果、特に小型鯨の個体数は激減し、日本古来の捕鯨は壊滅的打撃を受けたという説もある。そして鯨の減少や、今までの産業的資源が石油などの他原料に移行してきたという事もあり、欧米諸国による大規模な遠洋捕鯨の時代は徐々にその幕を閉じていった。そして長年に渡る乱獲で鯨の数を減らしてしまった反省から、それらの国々の多くは、今では強い反捕鯨を唱えるようになっていったという経緯があるようだ。
しばらくオーストラリアに住んでいた僕の経験から言うと、オーストラリア人の捕鯨に対する関心度は驚くほど高いと言える。そして国民こぞって反捕鯨的な考えを持っている。僕はその影響をモロに受け、オーストラリアに居た当初は反捕鯨、しかしその後、日本や北欧の捕鯨食文化を学ぶにつれ、徐々に捕鯨容認の考えを持つようになり、今は、幸か不幸か中立的立場を貫いている。反捕鯨先進国ともいえるオーストラリア的考えも、昔から捕鯨文化を持つ日本的な感覚も、今の僕にはよく理解出来る。捕鯨の是非については、僕も今もって日夜頭を抱え、常に混乱しているのだ。

日本のリサーチ船に反捕鯨活動家2人が乗り移ったニュースが流れた翌日、僕は親交のあるオーストラリア人エクストリームアイロニストと、この出来事について電話で激論を交わした。最初は穏やかに話していたが、彼は次第に感情的になり、日本人という理由だけで僕を必要以上に煽った。最後はアイロン掛けしてクールダウンしようぜ、って事で収束したが、とにかく捕鯨問題について彼らはその主張をまず曲げないし、日本人を前にして、やはり感情的になるのであった。彼らに「君らも牛や鳥を食べるじゃないか」とか、「君がベジタリアンなら反捕鯨の主張は完全に理解できる」、または「鯨は種類によっては増えすぎているから」といった主張は一切通用しない。まったく聞く耳を持たないのであった。でもたぶん彼らからしても、捕鯨容認派の日本人は聞く耳を持たないと思っているのであろう。生きたままの海老を調理する事を法律で禁じてしまう州を持つオーストラリア。鯨は知的で希少だと主張し、常に保護的観点から考えてしまうのは、ある意味当然の成り行きなのかもしれない。





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