EIJ 川面での死闘 伊東松川水上戦
それではタライレースの魅力とは一体なんであろうか。
それは勝って天国を見るか、または沈して地獄を見るかが紙一重な事。それに尽きるだろう。遊びの中で足元が不安定な場合は大抵楽しいものだ。しゃもじで漕ぐ感覚や、沈した時の悔しさもまた味わい深い。
この変り種競技も、スタートする前の緊張感や、タライに乗り込んだ時の高揚感、そして乾いたままゴールした時の満足感など、レースにおいて感じる感覚は他の競技スポーツにおいて体感するイメージとなんら変わらない。こういう緊張感を普段味わう事のない大人の社会において、このレースに参加する事は思いのほか意味のある行為ではなかろうか。やるか、またはやられるか的場数を多く踏んでいる人間は、どんな状況下においても強さを発揮できるようになる。そしてタライは1年に一度の一発勝負。これで沈したら次は来年までレースはない。勝負強さが求められるのもまた、このタライレースの醍醐味なのである。そしてこの経験は、日常生活の中ではもちろん、必ずやエクストリームアイロニングの世界大会においても活きてくるであろうと僕は確信している。

過去4回に渡る出場で、僕も、おととしまさかのバックドロップ沈を経験した。タライからズレ落ちながら水没し、後頭部が川底に着底した時の感覚を、僕は今でもはっきりと覚えている。その年は、観客の笑い声と共に僕の勝負としてのレースは終わった。翌年のレースまでの一年間は長く、そして悔しい思いもそれなりに募ったが、それをなんとか闘志に変えて、僕は翌年のレースに再び挑んだのであった。
そしてその年に念願の初入賞(5位)を果たし、今年は個人で準優勝する事も出来た(表彰式・下の写真)。一度沈を経験した人間は、やはりそれなりの進化を遂げるのである。今年、我々はEIJメンバー+友人らの総勢20名という大所帯で伊東に乗り込んだ。来年も皆で一致団結し、今まで参加できなかったEIJメンバーも交え、今度こそ団体と個人での総合優勝を目指したいと思っている。そしてこの強いモチベーションが、必ずやエクストリームアイロニングの世界大会が開催されるその日まで皆を引っ張ってくれることを強く信じ、僕は今後もタライに乗り続けるのだ。

タライレースには、アイロニングに通じる何かが確実に存在している。しかしタライレースが持つその歴史と伝統に、エクストリームアイロニングは依然足元にも及ばないのである。伊東市の強力なバックアップや、各種運営ボランティアや地元の方々の惜しみない協力。このユーモアと極限性のあるタライレースは、すでに伊東では認められた偉大な存在だ。しかし、僕はここに競技としてのエクストリームアイロニングの今後の可能性を強く感じるのだ。今後エクストリームアイロニングジャパンが今よりもう少し成長したら、これを手本に国内でのアイロニング競技大会を立案したいと僕は考えている。
ここ数年、風呂場でタライや桶を目にすると、自然と足を入れて乗ろうとしてしまう愚かな自分がいる。もはや僕にとってタライは乗り物なのである。
成人してから一貫して、僕の人生における座右の銘は「漂えど沈まず」である。
これは僕が尊敬する作家、故・開高健氏の残した言葉であるが、タライレースを知った今、この言葉は僕にとって更に深く重い意味を持つようになった。伊東においても、そして人生においても、僕は深く激しく沈んだ経験を持つ。しかしこれからは伊東で、そして人生においても、僕は沈まずにゴールを目指すつもりだ。
沈むのは、水中アイロニングの時だけで十分なのである。
それでは皆さん、どうか素敵なクリスマスを!
それは勝って天国を見るか、または沈して地獄を見るかが紙一重な事。それに尽きるだろう。遊びの中で足元が不安定な場合は大抵楽しいものだ。しゃもじで漕ぐ感覚や、沈した時の悔しさもまた味わい深い。
この変り種競技も、スタートする前の緊張感や、タライに乗り込んだ時の高揚感、そして乾いたままゴールした時の満足感など、レースにおいて感じる感覚は他の競技スポーツにおいて体感するイメージとなんら変わらない。こういう緊張感を普段味わう事のない大人の社会において、このレースに参加する事は思いのほか意味のある行為ではなかろうか。やるか、またはやられるか的場数を多く踏んでいる人間は、どんな状況下においても強さを発揮できるようになる。そしてタライは1年に一度の一発勝負。これで沈したら次は来年までレースはない。勝負強さが求められるのもまた、このタライレースの醍醐味なのである。そしてこの経験は、日常生活の中ではもちろん、必ずやエクストリームアイロニングの世界大会においても活きてくるであろうと僕は確信している。

過去4回に渡る出場で、僕も、おととしまさかのバックドロップ沈を経験した。タライからズレ落ちながら水没し、後頭部が川底に着底した時の感覚を、僕は今でもはっきりと覚えている。その年は、観客の笑い声と共に僕の勝負としてのレースは終わった。翌年のレースまでの一年間は長く、そして悔しい思いもそれなりに募ったが、それをなんとか闘志に変えて、僕は翌年のレースに再び挑んだのであった。
そしてその年に念願の初入賞(5位)を果たし、今年は個人で準優勝する事も出来た(表彰式・下の写真)。一度沈を経験した人間は、やはりそれなりの進化を遂げるのである。今年、我々はEIJメンバー+友人らの総勢20名という大所帯で伊東に乗り込んだ。来年も皆で一致団結し、今まで参加できなかったEIJメンバーも交え、今度こそ団体と個人での総合優勝を目指したいと思っている。そしてこの強いモチベーションが、必ずやエクストリームアイロニングの世界大会が開催されるその日まで皆を引っ張ってくれることを強く信じ、僕は今後もタライに乗り続けるのだ。

タライレースには、アイロニングに通じる何かが確実に存在している。しかしタライレースが持つその歴史と伝統に、エクストリームアイロニングは依然足元にも及ばないのである。伊東市の強力なバックアップや、各種運営ボランティアや地元の方々の惜しみない協力。このユーモアと極限性のあるタライレースは、すでに伊東では認められた偉大な存在だ。しかし、僕はここに競技としてのエクストリームアイロニングの今後の可能性を強く感じるのだ。今後エクストリームアイロニングジャパンが今よりもう少し成長したら、これを手本に国内でのアイロニング競技大会を立案したいと僕は考えている。
ここ数年、風呂場でタライや桶を目にすると、自然と足を入れて乗ろうとしてしまう愚かな自分がいる。もはや僕にとってタライは乗り物なのである。
成人してから一貫して、僕の人生における座右の銘は「漂えど沈まず」である。
これは僕が尊敬する作家、故・開高健氏の残した言葉であるが、タライレースを知った今、この言葉は僕にとって更に深く重い意味を持つようになった。伊東においても、そして人生においても、僕は深く激しく沈んだ経験を持つ。しかしこれからは伊東で、そして人生においても、僕は沈まずにゴールを目指すつもりだ。
沈むのは、水中アイロニングの時だけで十分なのである。
それでは皆さん、どうか素敵なクリスマスを!





