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2008/01/20

録音と再生は芸術か?「レコード演奏家論」についての考察

今回は、演奏を録音するという行為や、オーディオを通じてこの録音を再生する意味について考えてみたい。
こんなことを書く気持ちになったのは、一つはピュアオーディオの素晴しさをもっと知ってほしいためであるが、もう一つは、最近、NHK BSで放送された番組「エジソンの玉手箱」を見たからである。

この番組は30分くらいの短いものだが、女優の佐藤江梨子が、高名なオーディオ評論家であり録音ディレクターとして数々の名レコードを製作してきた菅野沖彦氏(写真は氏製作の録音テープ:10号オープンリール)の御自宅を訪問して、オーディオルームでレコード音楽を聴き、またスタジオで録音の現場に立ち会って、録音や再生の意味を考え、ピュアオーディオの素晴しさを体感するという、なかなか興味深くまた奥深い内容であった。

 このような企画あるいは発案はどこからなされたのかわからないが、レコード史上に残るショルティ指揮ウィーン・フィルのワーグナー 「ニーベルングの指輪」(写真:第一夜“ワルキューレ”のスーパーアナログディスク)を取り上げて、音のみでオペラを表現することが、舞台とは違う意味を持つことを説明したり、ジャズの録音において、楽器に近付いたマイクのセッティングを行うことで、生演奏よりもジャズらしさを強調できることなどを示して、録音・再生の魅力やその芸術性について短い時間でとてもわかりやすく解説しており、ピュアオーディオへの関心を高めるためにも、BSのみで放送するのではなく、教育テレビなどでもっと多くの人が見る時間に放送して欲しいと思った。

 そもそも録音は、最初は一回で消えて行く音を記録に留めるために考えられたわけだし、今でもその意義は変わらない。
しかし演奏録音においては、単に生演奏を記録するといったカンヅメ的で消極的な意味ではなく、生演奏に匹敵する、あるいはあえて言えば生演奏とは別の感動が味わえるものとして捉えて行くことが可能であろう。
録音だから作れる効果、あるいは映像のない世界だから生まれるイマジネーションといった点で本当にレコード音楽の世界は楽しく素晴しいものだと思う。

 宮沢明子さんも著書(写真)の“レコーディングの魔力”という章で「レコードはカンヅメでない!」と繰り返し述べておられて、レコード音楽の芸術性を深く理解されていることがわかる。

また前出のニーベルングの指輪のプロデューサーであるカルショーは、そのメイキングビデオである“ザ・ゴールデン・リング”(写真)で「この録音プロジェクトではワーグナーの世界をどれだけ音だけで表現できるかが目標」と述べていて、レコード音楽の価値を強調している。

 



しかし、このようなレコード音楽の素晴しさを体感するためには、やはり録音効果を聴き取ることができたりイマジネーションを得ることができるだけの音質で音楽を再生できるレベルのオーディオ装置が必要となる。
 
 ここで登場するのが、菅野沖彦氏が提唱しておられる「レコード演奏家」という言葉である。氏の著書「新レコード演奏家論」(写真)では、レコード音楽文化に敬意を払い、記録された音楽の真の再生を目指して努力する鑑賞者は、もはやレコードを再生するのではなく音楽に生命を与え能動的に表現する演奏家であると言ってもいいと述べられているが、ここでの演奏家はやはりオーディオに相当の物量と熱意と時間を投入している人が対象となるのだろう。

 



菅野先生(個人的な敬愛を込めてそう呼ばせていただく)のことは、録音ディレクターとして、クラシックでは特に宮沢明子の名演奏のレコード(写真)を多く作って来られたことでお名前を知っていたが、幸いにも対談を通じて先生のお人柄にも触れることができた(対談時の写真)。







それによって、音楽への深い愛情と理解が先生のオーディオ論の原点にあることがよく理解できたのだが、この「レコード演奏家」という考え方はまさにそのような先生だからこそ発案できたことのように思う。





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