趣味

Column Title : 

2008/06/01

庭のバラを贈り物にする贅沢

雨が降っている。このところ土曜日は8週間連続で雨が降っているそうだ。さすがに庭には出られない。ガーデニングはお休み。バラの方も一休みといったところで、ひと山越えたように静かになっている。返り咲きを前に、ハイブリッド・ティーの遅いものが芽を上げてきているところだ。

こうして庭に出られないので、逆に、つらつらと「どうして庭に出るのがそんなに楽しいのか」と考えてみた。たしかに、楽しい。時々、バラをはじめ、植物にコキ使われているような気がするけれど、やはり楽しい。庭に出れば、必ず何かしなければならないことがあるし、それをしていることで、時を忘れる。この時を忘れて夢中になれるというのが、大切なのではないか。いやな仕事をしていて、「ああ、もうこんな時間だ」というのとはぜんぜん違う。その後に、がっくり疲れたりしないし、かなりの充足感がある。だから、仕事にもそれくらいの充足感があったら、幸せなことなのだろう。でも、それはとても難しい。

その充足感は何から来るのだろう。ひとつには、誰からも強制されずに、自分の意志で好きなことを適当にやっているということもある。これが、毎日50本、どこかに花を届けなければならないとなったら、大変な仕事だ。とてもストレス解消にはならないだろう。

先日、たまたま福井県に出張したところ、水がはられ苗が植えられた田んぼが、車窓に延々と続き、夕映えの光の中でみごとに美しかった。何か忘れていた感動がよみがえったような気がした。ところが、それを土地の人に話したところ、「都会の人にはそうかもしれないけれど、これからの季節、農家には地獄ですわ」といわれてしまった。

たしかに、雨が降ったら休めるアマチュアの気楽さはある。しかし、それだけでは、この庭に出るためのエネルギーが説明つかないような気がする。本当は、雨が降っても出ていたいくらいの気持ちはあるのだ。よく考えてみると、庭に出る理由を、相手の植物の方に求めていることに気がついた。つまり、相手に必要とされているから、自分は行くのだ。これをしなければ、花が咲かないか、それ以上に、これをしなければ、枯れてしまうから行くということなのだ。同じ生き物でも、ペットを飼っていた時よりこの思いは強い。実際は、かなり丈夫なのだが、やはり、植物は動物よりも弱いという先入観があるからなのだろう。





この記事のトラックバックURL:

特集

何も足さない究極の「原音」に触れる 「知名御多出横」
会員登録プレゼント

新着こだわりコラム

野外はドコデモ隠れ家だ

2008/12/04 野外はドコデ… 箱根の峠を…

ほろ酔い蕎麦屋めぐり

2008/12/04 ほろ酔い蕎麦… 市原の蕎麦…

文房具に寄す

2008/12/04 文房具に寄す 手帳選びの…

それいけ!ちょうどいい隊

2008/12/04 それいけ!ち… 寄席はお江…

担当ディレクターの「裏・建もの探訪」

2008/12/03 担当ディレク… 1000回…