チャタレイ夫人のバラ 《ディジョンの栄光》
春一番が吹いて、雛祭りのすぐ後、3月5日は啓蟄だ。虫が地中から這い出してくる日だという。蟄という字は、虫が地中にかくれていることを表し、啓は、開く、解放するという意味だそうだ。そういえば、蠢くという漢字は、まさに春の虫がゴソゴソしているように見える。本来、虫と植物とは助け合わなければならない関係で、バラがきれいで、素晴らしい香りがするのも、虫を誘うためのものだ。いや、助け合うと書いたが、本当はそのような信頼関係がある訳ではない。虫は虫で自分の食欲を満たしているだけで、バラも虫を誘って、実は、自分の性欲を満たしているのだ。
届いた鉢苗に、もし何も肥料が施されていなければ、今月中に置き肥を与えておく。量とその後の施肥の仕方は、肥料の種類によって違うので、その説明書に従うこと。ちなみに、私は今年、長野ローズ社の「ぼかし肥料」を使ってみた。また、土換えの時には、同じく長野ローズ社の「ニーム肥料」を土に混ぜている。自然材料で、ゆっくりと効くというのがいいと思っている。粉末なのでスプーンで撒くだけ。取り扱いも簡単だ。
さて、英国の作家、D.H.ロレンスの小説に「チャタレイ夫人の恋人」がある。日本の猥褻の概念を規定した最高裁の判例が出るもととなった小説である。憲法で保障された表現の自由に対し、裁判所が刑法の猥褻規定をもって、どこまで介入できるのかが争われた「チャタレイ裁判」で有名になってしまう。1957年(昭和32年)の話だ。私が高校生の時はまだ、「チャタレイ夫人の恋人」は猥褻とされた部分がカットされたままであった。
この年頃の好奇心は、時として莫大なエネルギーを生む。だったら英語で読んでしまえと果敢に原書に挑んだ。ところが、「チャタレイ夫人の恋人」は、日本語の文庫でも560ページを超える長編である。チャタレイ夫人であるコニーが、恋人の森番メラーズに出会うだけでも全体の四分の一、二人の関係ができるまでに半分を読破しなければならない。しかも、その間は第一次大戦後のイギリスの世相と文化を、階級社会からの視点で批評的に描いたもので、もともとの好奇心の対象となるような内容はまったく含まれず、やたらと堅い話が続く。日本語で読んでも投げ出しかねない文章に、まして高校生の英語力では歯が立たつはずもなく、ペンギンブックスのペーパーバックは、そのまま本棚の飾りとなった。その後「社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられている」とされる判決であったが、1996年に完訳で復刊され、なぜかもう発禁にはならなかった。40年間で裁判官も変わったということだろう。





