なんでも好きになるのには、きっかけがあるはず
実は、あまりこういうことは好きでなかった。
何よりも、濡れた土の中に手を突っ込むあの感触が耐えがたく、できればそのようなことなしに一生を過ごす予定だった。とても自称シティ・ボーイのやることだとは思えなかった。ところが、変われば変わるもので、今はミミズも牛糞もいとわず、手がカサカサに荒れるのには驚いたが、最近では、棘にやられた切り傷のあとなぞを残して、よく見ると、バラの棘の先端がポツリとそのまま手の中に残っていたりする。じっと手を見てしまう。
きっかけは些細なことだった。夏休みのある日、その年に再就職したウチの奥さんに、庭の水撒きをたのまれたのだ。庭の管理といえば奥さんの仕事で、私といえば、数年来、庭に出た記憶もなかった。さほど広くもないが、出るには億劫で、まったく興味のない私にはどうしようもない庭である。生返事をしたまま、水を撒くことなどすっかり忘れていた。その結果、気がつくと庭のバラは、首を180度、まさにUターンさせて下を向いていた。あわてて水をやり、その後はこっそりと何度も庭に出て、バラを眺めまわした。奥さんが怖いというより、植物とはいえ、生きていたものが死んでしまうことがかわいそうで、その点で自分が許せない気がした。すると、バラはしだいに頭を持ち上げて回復した。
今となっては、そんなバラの回復力など当たり前のことだが、その時は、この植物の不思議がひどく新鮮に思えたのである。なぜだろう? やはり、そのような健気さに動かされる心理状態にあったのだろうか。そういえば、最近、小さな子供が何かを達成して「ああ、よかったね」というシーンに弱い。こないだは、子犬が懸命に走る映画の予告編を見て泣いてしまった。考えてみれば、バラだって必死なのだ。私にバラをゆだねた奥さんには、忘れていたことが二つあった。私は凝り性で、しかも、収集癖があったのだ。
バラは、けしてか弱い植物ではない。むしろ、かなり丈夫である。たおやかな乙女をイメージしがちだが、とんでもない。ただ、きれいな花を咲かせるには、それなりの手間がかかる。そして、バラはやたらとプライドが高い。









