「ヴェルディの生涯とその作品」前編
先月、「椿姫」 「仮面舞踏会」とイタリア・オペラ最大の巨人ジュゼッペ・ヴェルディの作品を紹介した。しかし、ヴェルディという作曲家にはあまり触れる機会がなかったので今回はヴェルディの生涯を簡単に追ってみよう。
ヴェルディが生まれたのは1813年10月10日。ロシアで大敗を喫したナポレオンが、決定的なダメージを追ったライプツィヒ諸国民戦争の6日前のこと。この年は奇しくもドイツ最大のオペラ作曲家、リヒャルト・ワグナーが生まれた年(5月22日)でもあり、オペラ史上、最も重要な年と言えるので、ぜひ覚えておこう!
さてヴェルディが生まれたロンコーレ村は、パルマ県ブッセート町の郊外にある寒村で、父親のカルロは旅籠を経営していた。旅音楽師の音楽を聞きながら育ち、8歳の時には家の前にあるサン・ミケーレ教会のオルガニストとして才能を発揮していた。ブッセートの有力者、アントニオ・バレッツィ(注1)に音楽の才能を認められて援助を受けることになり、フェルディナンド・プロヴェージ(注2)に音楽の専門教育を受けることが出来た。そして18歳の時にミラノ音楽院を受験したが、落ちてしまった。彼はこのことを晩年まで根に持っていて、85歳の時にミラノ音楽院にヴェルディの名前を付けることを認めなかった(しかし、今はヴェルディ音楽院となり、イタリア一の音楽学校として、プッチーニ(注3)、ミケランジェリ(注4)、ポリーニ(注5)、アッバード(注6)ら世界的な音楽家を輩出し続けている)。そこで、ヴィンチェンツォ・ラヴィーニャ(注7)というミラノ音楽院の教授に個人的に師事し、ミラノで勉強を続けた。そして、ドニゼッティ(注8)の「ルクレツィア・ボルジア」(注9)や、19世紀最高のプリマドンナ、ジュディッタ・パスタ(注10)とマリア・マリブラン(注11)を生で聞くことによって天からの啓発を受け、その後の創作活動に多大なる影響を与えた。
ヴェルディの生家の前にあるサン・ミケーレ教会
今もヴェルディが弾いたパイプオルガンが残っている。
(注1)アントニオ・バレッツィ…ブッセートの実業家で自らフルート、クラリネット、ホルンを吹くなど音楽を愛し、楽友協会の会長だった人物。彼の娘でヴェルディの妻マルゲリータが死んだあとも、ヴェルディは生涯に渡り父と慕った。
(注2) フェルディナンド・プロヴェージ…ブッセート・フィルハーモニーの指揮者で、オルガン奏者で、聖バルトロメオ教会の楽長で詩人でもあった人物。ヴェルディは、1836年に彼の死を受けて、バルトロメオ教会の楽長の地位を引き継ぐ。
(注3)プッチーニ…ヴェルディの後継者とも呼ぶべき天才作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)。 18歳の時にヴェルディの「アイーダ」を見て感銘を受け、オペラ作曲家の道を歩む決心をした。「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」などが代表的な作品。
(注4)ミケランジェリ…20世紀を代表するピアニスト、アルトゥーロ・ミケランジェリ(1920-1995)。リストの再来と言われたほどの天才で、ミスタッチが無いと言われ、チェルビダッケと並んで録音嫌いとしても有名。教育者としても数多くのピアニストを世に出した。
(注5)ポリーニ…現役最高のピアニストと言われる、マウリツィオ・ポリーニ(1942-)。18歳の若さで第6回ショパン・コンクールにて全会一致で優勝した。その後、順調に巨匠への道を歩み続けてきている。バロックから現代曲までレパートリーは広く、一方、日本通として知られている。
(注6)アッバード…現代最高の指揮者の1人、クラウディオ・アッバード(1933-)。スカラ座の音楽監督、芸術監督を歴任し、その後カラヤンの後継者としてベルリン・フィルの芸術監督に就任。2000年に病に倒れるが、奇跡的に復活し、現在はルツェルン祝祭管弦楽団やマーラー・チェンバー・オーケストラを率い、若手の育成にも積極的。
(注7) ヴィンチェンツォ・ラヴィーニャ…彼は、ベッリーニの「ノルマ」初演の時(1831年)の指揮者としても知られ、イタリアでも有名な音楽家だった。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を最高の作品と認め、1814年にスカラ座にてイタリア初演を果たした。
(注8)ドニゼッティ(1797-1848)…ベルカント・オペラを代表するイタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティ。心理描写や劇的な表現に優れ、「アンナ・ボレーナ」「愛の妙薬」「ランメルモールのルチア」「連隊の娘」「ファボリータ」「ドン・パスクアーレ」等、数多くの傑作を書いた。
(注9)ルクレツィア・ボルジア…ルネッサンス期のボルジア家のお姫様で、実在の人物。政略結婚によって波乱の生涯を送った。ドニゼッティの作品はユーゴの戯曲に基づくプロローグと2幕のオペラ。1833年にミラノ・スカラ座で初演され、大成功を収めた。
(注10)ジュディッタ・パスタ(1797-1865)…古今東西を通じてイタリア最高のソプラノ歌手で、マリア・カラスはパスタの後継者と言われた。非常に広い音域を持ち、ドラマティーコで太い役からコロラトゥーラの役まで幅広いレパートリーをこなした。「アンナ・ボレーナ」「夢遊病の女」「ノルマ」などの初演を歌ったが、ドニゼッティやベッリーニは彼女の声を想定して作品を書いた。
(注11)マリア・マリブラン(1808-1836)…パスタと同時代の偉大のスペインのメッツォ・ソプラノ。 卓越した声とテクニックだけでなく、美貌と演技力を兼ね備え、世界中の一流歌劇場で熱狂的に受け入れられた。落馬事故が原因で、28歳の若さで死んでしまった。ヴェネツィアには彼女の名前を付けたマリブラン劇場が存在する。
ロンコレンにあるヴェルディの生家とヴェルディの銅像
さてヴェルディが生まれたロンコーレ村は、パルマ県ブッセート町の郊外にある寒村で、父親のカルロは旅籠を経営していた。旅音楽師の音楽を聞きながら育ち、8歳の時には家の前にあるサン・ミケーレ教会のオルガニストとして才能を発揮していた。ブッセートの有力者、アントニオ・バレッツィ(注1)に音楽の才能を認められて援助を受けることになり、フェルディナンド・プロヴェージ(注2)に音楽の専門教育を受けることが出来た。そして18歳の時にミラノ音楽院を受験したが、落ちてしまった。彼はこのことを晩年まで根に持っていて、85歳の時にミラノ音楽院にヴェルディの名前を付けることを認めなかった(しかし、今はヴェルディ音楽院となり、イタリア一の音楽学校として、プッチーニ(注3)、ミケランジェリ(注4)、ポリーニ(注5)、アッバード(注6)ら世界的な音楽家を輩出し続けている)。そこで、ヴィンチェンツォ・ラヴィーニャ(注7)というミラノ音楽院の教授に個人的に師事し、ミラノで勉強を続けた。そして、ドニゼッティ(注8)の「ルクレツィア・ボルジア」(注9)や、19世紀最高のプリマドンナ、ジュディッタ・パスタ(注10)とマリア・マリブラン(注11)を生で聞くことによって天からの啓発を受け、その後の創作活動に多大なる影響を与えた。
ヴェルディの生家の前にあるサン・ミケーレ教会 今もヴェルディが弾いたパイプオルガンが残っている。
(注1)アントニオ・バレッツィ…ブッセートの実業家で自らフルート、クラリネット、ホルンを吹くなど音楽を愛し、楽友協会の会長だった人物。彼の娘でヴェルディの妻マルゲリータが死んだあとも、ヴェルディは生涯に渡り父と慕った。
(注2) フェルディナンド・プロヴェージ…ブッセート・フィルハーモニーの指揮者で、オルガン奏者で、聖バルトロメオ教会の楽長で詩人でもあった人物。ヴェルディは、1836年に彼の死を受けて、バルトロメオ教会の楽長の地位を引き継ぐ。
(注3)プッチーニ…ヴェルディの後継者とも呼ぶべき天才作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)。 18歳の時にヴェルディの「アイーダ」を見て感銘を受け、オペラ作曲家の道を歩む決心をした。「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」などが代表的な作品。
(注4)ミケランジェリ…20世紀を代表するピアニスト、アルトゥーロ・ミケランジェリ(1920-1995)。リストの再来と言われたほどの天才で、ミスタッチが無いと言われ、チェルビダッケと並んで録音嫌いとしても有名。教育者としても数多くのピアニストを世に出した。
(注5)ポリーニ…現役最高のピアニストと言われる、マウリツィオ・ポリーニ(1942-)。18歳の若さで第6回ショパン・コンクールにて全会一致で優勝した。その後、順調に巨匠への道を歩み続けてきている。バロックから現代曲までレパートリーは広く、一方、日本通として知られている。
(注6)アッバード…現代最高の指揮者の1人、クラウディオ・アッバード(1933-)。スカラ座の音楽監督、芸術監督を歴任し、その後カラヤンの後継者としてベルリン・フィルの芸術監督に就任。2000年に病に倒れるが、奇跡的に復活し、現在はルツェルン祝祭管弦楽団やマーラー・チェンバー・オーケストラを率い、若手の育成にも積極的。
(注7) ヴィンチェンツォ・ラヴィーニャ…彼は、ベッリーニの「ノルマ」初演の時(1831年)の指揮者としても知られ、イタリアでも有名な音楽家だった。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を最高の作品と認め、1814年にスカラ座にてイタリア初演を果たした。
(注8)ドニゼッティ(1797-1848)…ベルカント・オペラを代表するイタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティ。心理描写や劇的な表現に優れ、「アンナ・ボレーナ」「愛の妙薬」「ランメルモールのルチア」「連隊の娘」「ファボリータ」「ドン・パスクアーレ」等、数多くの傑作を書いた。
(注9)ルクレツィア・ボルジア…ルネッサンス期のボルジア家のお姫様で、実在の人物。政略結婚によって波乱の生涯を送った。ドニゼッティの作品はユーゴの戯曲に基づくプロローグと2幕のオペラ。1833年にミラノ・スカラ座で初演され、大成功を収めた。
(注10)ジュディッタ・パスタ(1797-1865)…古今東西を通じてイタリア最高のソプラノ歌手で、マリア・カラスはパスタの後継者と言われた。非常に広い音域を持ち、ドラマティーコで太い役からコロラトゥーラの役まで幅広いレパートリーをこなした。「アンナ・ボレーナ」「夢遊病の女」「ノルマ」などの初演を歌ったが、ドニゼッティやベッリーニは彼女の声を想定して作品を書いた。
(注11)マリア・マリブラン(1808-1836)…パスタと同時代の偉大のスペインのメッツォ・ソプラノ。 卓越した声とテクニックだけでなく、美貌と演技力を兼ね備え、世界中の一流歌劇場で熱狂的に受け入れられた。落馬事故が原因で、28歳の若さで死んでしまった。ヴェネツィアには彼女の名前を付けたマリブラン劇場が存在する。
ロンコレンにあるヴェルディの生家とヴェルディの銅像




