テューリンゲン、ザクセンの旅 第6回 ライプツィヒ
中部ドイツ、バッハの旅もいよいよ最終回、ライプツィヒ編。今年のバッハ・フェスティヴァルの模様なども。
今週はバッハの旅もいよいよ最終回、もちろんライプツィヒである。ヨハン・セバスティアン・バッハは、ケーテンを去った後、ライプツィヒのシンボル、トーマス教会のカントール(聖歌隊の指揮者、音楽監督)を27年務め、この地で亡くなった。
ライプツィヒは東ドイツではベルリンに次ぐ大都市で、出版と見本市の町として有名。楽譜の出版社として有名なペータースやオイレンブルクもこの町で創設された。バッハだけでなく数多くの偉大な音楽家の故郷でもあり、ワーグナーが生まれ、メンデルスゾーン、シューマンなどがこの地で活躍した。メンデルスゾーン、シューマンの博物館に関しては先週紹介したが、他にもいくつかの博物館がある。まずは、バッハ博物館。トーマス教会のすぐ横にあり、ライプツィヒ時代のバッハに関する数多くの展示があるが、現在は修復工事中で、残念ながらほとんど何も見るべきものがない。2005年に出来たばかりのグリーグ博物館もある。グリーグは、北欧のショパンと呼ばれたノルウェーの作曲家だが、ライプツィヒ音楽院で3年半ピアノと作曲を学んだ。そしてもう1つ見逃せないのが、グラッシ博物館の中にある楽器博物館である。ここには5,000点に及ぶ貴重な楽器のコレクションがあり、実際に触って音を出す部屋などもあり、とても充実している。
それからアウグスティス広場を挟んで向き合う形で建つ、ゲヴァントハウスとライプツィヒ歌劇場。ゲヴァントハウス管弦楽団の歴史は非常に古く1743年創設である。当時、オーケストラというものは、王家や宮廷が抱えるオペラハウスに所属するものであった。市民レヴェルの自主運営による世界最古のオーケストラはこのゲヴァントハウス管弦楽団と言われている。先週も少し触れたが、メンデルスゾーンによって、自分の交響曲第3番、シューマンの交響曲1番、2番、4番、埋もれていたシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」などの初演を初め、数々の歴史的なコンサートを行ってきた。現在でもドイツ屈指のオーケストラとして君臨している。
一方、ライプツィヒ歌劇場は1867年に創設され、グスタフ・マーラーも主席指揮者を努めたという歴史を誇る。クルチェネクの「ジョニーは演奏する」、クルト・ヴァイルの「マホゴニー市の興亡」の初演をしたオペラハウスとしても知られている。
2つの劇場は、ともに第2次世界大戦によって全壊してしまったが、見事に蘇った。
ライプツィヒは東ドイツではベルリンに次ぐ大都市で、出版と見本市の町として有名。楽譜の出版社として有名なペータースやオイレンブルクもこの町で創設された。バッハだけでなく数多くの偉大な音楽家の故郷でもあり、ワーグナーが生まれ、メンデルスゾーン、シューマンなどがこの地で活躍した。メンデルスゾーン、シューマンの博物館に関しては先週紹介したが、他にもいくつかの博物館がある。まずは、バッハ博物館。トーマス教会のすぐ横にあり、ライプツィヒ時代のバッハに関する数多くの展示があるが、現在は修復工事中で、残念ながらほとんど何も見るべきものがない。2005年に出来たばかりのグリーグ博物館もある。グリーグは、北欧のショパンと呼ばれたノルウェーの作曲家だが、ライプツィヒ音楽院で3年半ピアノと作曲を学んだ。そしてもう1つ見逃せないのが、グラッシ博物館の中にある楽器博物館である。ここには5,000点に及ぶ貴重な楽器のコレクションがあり、実際に触って音を出す部屋などもあり、とても充実している。
それからアウグスティス広場を挟んで向き合う形で建つ、ゲヴァントハウスとライプツィヒ歌劇場。ゲヴァントハウス管弦楽団の歴史は非常に古く1743年創設である。当時、オーケストラというものは、王家や宮廷が抱えるオペラハウスに所属するものであった。市民レヴェルの自主運営による世界最古のオーケストラはこのゲヴァントハウス管弦楽団と言われている。先週も少し触れたが、メンデルスゾーンによって、自分の交響曲第3番、シューマンの交響曲1番、2番、4番、埋もれていたシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」などの初演を初め、数々の歴史的なコンサートを行ってきた。現在でもドイツ屈指のオーケストラとして君臨している。
一方、ライプツィヒ歌劇場は1867年に創設され、グスタフ・マーラーも主席指揮者を努めたという歴史を誇る。クルチェネクの「ジョニーは演奏する」、クルト・ヴァイルの「マホゴニー市の興亡」の初演をしたオペラハウスとしても知られている。
2つの劇場は、ともに第2次世界大戦によって全壊してしまったが、見事に蘇った。
楽器博物館のあるグラッシ博物館
ゲヴァントハウス正面外観
ライプツィヒ歌劇場正面外観





