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2008/07/04

テューリンゲン、ザクセンの旅 第3回 ケーテン〜ハレ

今週はケーテン時代のバッハ。そしてヘンデルの生家があるハレも。

 バッハの旅もアイゼナッハ、オールドルフ、アルンシュタット、ヴァイマールと彼が過ごした時代順に回り、いよいよケーテンへ向う。ケーテンは、人口3万人ほどの日本のガイドブックにも載っていないような小さな町だが、バッハにとってここで過ごした6年間は非常に重要なもので、バッハ信者にとっては聖地のような場所である。

 時の君主、音楽を深く愛していたアンハルト=ケーテン候レオポルトは、1717年、32歳のバッハを宮廷楽長として敬意を持ってケーテンへ迎えた。そこでバッハは優秀な楽団員たちにも恵まれ、非常に充実した時期を過ごすことが出来た。そして、教会音楽以外の世俗的な器楽曲の名曲の大部分はこのケーテンで作曲された。すなわち、6曲のブランデンブルク協奏曲、3曲のヴァイオリン協奏曲、無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ、無伴奏チェロ組曲、平均律クラヴィーア曲集第1集、イギリス組曲、フランス組曲などの傑作群である。

 そんな中、1720年に13年連れ添った最愛の妻、マリア・バルバラが急死してしまう。しかしバッハは、翌1721年、16歳年下でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナを妻に迎える。彼女は13人もの子供を育てただけでなく、バッハを良くサポートし、写譜などを手伝った。

 しかし、レオポルト公が音楽に理解のないフレデリカを妃に迎えしまったこと。ケーテン宮廷がカルヴァン派であるのに対してバッハ一族がルター派だったために迫害を受けていたことなどによって、最期の地ライプツィヒへ移住する決意をするのである。

 ケーテンのバッハの住居は、今は分からなくなってしまっているが、バッハの職場だったケーテン城はバッハ記念館として残っている。


ケーテン城鏡の間 バッハはここで御前演奏を行っていた


もう1枚鏡の間


ケーテン城宮廷礼拝堂


ケーテン城横に建設中のバッハザールというコンサートホール





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