イタリア・オペラ日記 第2回 パルマ、モデナ
今週はパルマ・レッジョ劇場の「ボエーム」とパヴァロッティ巡礼など。
4月26日は、まずレッジョ・エミリア州の町、パルマの市内観光。プロシュットという生ハムやパルミジャーノと呼ばれるチーズの名産地として有名な町。中世にはファルネーゼ家の支配によって栄えた。中田英寿が2年ほど在籍したパルマFCの本拠地で、数年前までは有力チームの1つだったが、親会社のパルマラットの倒産で2004年シーズンから厳しい状況におかれている。今期もセリエAの残留争いの真っ只中に巻き込まれてしまっている。
観光は、まず往年の名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの生家を訪ね、さらには地元の作曲家ともいうべきヴェルディの大きな記念碑。その他にもちろんピロッタ宮殿、ドゥオーモ等、パルマで見逃せないスポット観光も。
そして向かった先はパヴァロッティの町モデナ。まずは彼の葬儀が行われたドゥオーモ(大聖堂)へ行き、向かった先は郊外のモンターレ・ランゴーネ墓地というところ。郊外と言ってももう少し近いと思っていたが、モデナ市内から車で25分以上はかかるところで、まったく普通の田舎の墓地。彼であればモデナ市内の一等地どころか、ミラノの記念墓地に埋葬されてもまったくおかしくないと思われるが、遺言によって、両親や家族が眠るパヴァロッティ家の墓に入っているのである。その墓には晩年再婚相手のニコレッタ嬢との間に出来た双子のうち、死産してしまった男の子(リッカルド君)も眠っていた。飾り気がなく、家族を大切にするパヴァロッティらしい気もする。
夜はもちろんレッジョ劇場でオペラだったが、当夜のプログラムは今年生誕150周年を迎えたプッチーニの代表作「ボエーム」。
その前に簡単に劇場の説明をしておこう。1829年ベッリーニ唯一の失敗作と言われる「ザイーラ」で開場。ヴェルディの故郷ロンコレ、ブッセートから最も近い都会であるため、ヴェルディのお膝元として、ヴェルディ協会の本部がおかれ、毎年ヴェルディ・フェスティヴァルも行われている。1,440席の典型的な馬蹄形で、ボルゲーゼの緞帳と天井画が美しい。そして、この劇場でもっとも有名なのは、天井桟敷のファンが世界一厳しいこと。少しでも歌手の調子が悪いと容赦の無いヤジやブーイングが浴びせられ、歌手にとっても非常にプレッシャーのかかる劇場として知られている。また、この劇場で成功すればどこの劇場へいっても大丈夫と言われ、若手の登竜門的な役割を果たしている。
観光は、まず往年の名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの生家を訪ね、さらには地元の作曲家ともいうべきヴェルディの大きな記念碑。その他にもちろんピロッタ宮殿、ドゥオーモ等、パルマで見逃せないスポット観光も。
そして向かった先はパヴァロッティの町モデナ。まずは彼の葬儀が行われたドゥオーモ(大聖堂)へ行き、向かった先は郊外のモンターレ・ランゴーネ墓地というところ。郊外と言ってももう少し近いと思っていたが、モデナ市内から車で25分以上はかかるところで、まったく普通の田舎の墓地。彼であればモデナ市内の一等地どころか、ミラノの記念墓地に埋葬されてもまったくおかしくないと思われるが、遺言によって、両親や家族が眠るパヴァロッティ家の墓に入っているのである。その墓には晩年再婚相手のニコレッタ嬢との間に出来た双子のうち、死産してしまった男の子(リッカルド君)も眠っていた。飾り気がなく、家族を大切にするパヴァロッティらしい気もする。
夜はもちろんレッジョ劇場でオペラだったが、当夜のプログラムは今年生誕150周年を迎えたプッチーニの代表作「ボエーム」。
その前に簡単に劇場の説明をしておこう。1829年ベッリーニ唯一の失敗作と言われる「ザイーラ」で開場。ヴェルディの故郷ロンコレ、ブッセートから最も近い都会であるため、ヴェルディのお膝元として、ヴェルディ協会の本部がおかれ、毎年ヴェルディ・フェスティヴァルも行われている。1,440席の典型的な馬蹄形で、ボルゲーゼの緞帳と天井画が美しい。そして、この劇場でもっとも有名なのは、天井桟敷のファンが世界一厳しいこと。少しでも歌手の調子が悪いと容赦の無いヤジやブーイングが浴びせられ、歌手にとっても非常にプレッシャーのかかる劇場として知られている。また、この劇場で成功すればどこの劇場へいっても大丈夫と言われ、若手の登竜門的な役割を果たしている。
パヴァロッティが眠るモンターレ・ランゴーネ墓地の外観
パヴァロッティが1番下ですぐ上に両親の写真が
墓の横には彼の写真と芳名帳があったので、もちろん私も記帳してきた。









