本・エンタメ

2008/03/14

ジュゼッペ・ディ・ステーファノ追悼

 一世を風靡したイタリアの名テノール、ジュゼッペ・ディ・ステーファノが逝去してしまった。彼の半生を振り返ってみよう。

 さる3月3日、ピッポことジュゼッペ・ディ・ステーファノがミラノの自宅で死去してしまった。享年86歳。彼は2004年12月にケニアのモンバサの別荘で妻とともに強盗に襲撃されるという悲劇に遭い、そのままミラノへ運ばれたが、以降昏睡状態が続いていた。

 彼は1921年7月24日にシチリア島カターニア近郊のモッタ・サンタナスタージアに生まれた。若い頃から美声として知られ、ミラノのヴェルディ音楽院で勉強しドゥオーモの合唱団にも入った。第2次世界大戦で入隊、スイスに逃亡するが、戦後帰国し、1946年レッジョ・エミーリアの市立歌劇場でマスネの「マノン」のデ・グリューを歌ってデビュー。翌年にはミラノ・スカラ座やローマ歌劇場でも同役でデビューすると、NYのメトロポリタン歌劇場ではヴェルディの「リゴレット」のマントヴァ公爵でデビューを果たした。そして以降はスカラ座をホームグラウンドとして、ファンに愛され続けた。

 初期の頃はビゼーの「真珠取り」のナディール、ベッリーニの「夢遊病の女」のエルヴィーノや「清教徒」のアルトゥーロ、ドニゼッティの「愛の妙薬」のネモリーノや「ランメルモールのルチア」のエドガルド、ヴェルディの「椿姫」のアルフレード、やや軽めのベルカントオペラを得意としていた。しかし、1955年の「カルメン」のドン・ホセをきっかけにスピント、ドラマティコの諸役に傾倒するようになり、ヴェルディの「アイーダ」のラダメス、「運命の力」のドン・アルヴァーロ、「トロヴァトーレ」のマンリーコ、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のトゥリッドゥ、レオンカヴァッロの「道化師」のカニオ等を好んで歌うようになった。しかしこのことが、彼の歌手生命を大きく縮めていくことになったのである。

 もともとの喉を開き気味に歌うアペルト(イタリア語で“開く”の意味)な発声で激情的な歌い方をしたため、喉に負担をかけていたと思われる。しかもウィスキーを浴びるように飲んだり、タバコや葉巻を好んで吸うなどの不摂生を重ねたことも原因であろう。スカラ座では「愛の妙薬」の舞台で実際にウィスキーを呷りながらネモリーノを歌ったという伝説も残っている。1960年代になると声に衰えが見え始め、オペラよりもリサイタルが中心となっていった。

何も写真がないのも寂しいので、彼の生まれ故郷カターニアのベッリーニ劇場の写真





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