モーツァルトとオペラ 第6回
いよいよモーツァルトの人生の集大成とも呼ぶべきオペラ「魔笛」。ドイツ語圏でダントツ1位の上演回数を誇る傑作。
「魔笛」がモーツァルト最後のオペラのように言われることがあるが、ある意味ではその通りだが、厳密には間違っている。まず、モーツァルトが「魔笛」を書き始めたのが、1791年の3月くらい。順調に作曲は進んでいったが、レオポルト2世のボヘミア王戴冠式のためのオペラを依頼されたのが7月中旬。これが「皇帝ティトの慈悲」であるが、最終的な配役は知らされず、「魔笛」の作曲を中断して本格的にこのオペラを作曲を開始したのは8月の中旬のことであった。そしてたった3週間足らずの9月5日にこのオペラを書き上げ、翌6日にプラハ国立劇場で初演された。直後に「魔笛」の作曲を再開し、完成したのが9月28日。そして、翌々日の30日にアウフ・デア・ヴィーデン劇場で初演された。つまり魔笛を書いている途中で「皇帝ティートの慈悲」を短期間で仕上げてしまい、その後、「魔笛」を仕上げたのである。
モーツァルトの作品の配列する時の作品番号、ケッヘル番号(KV)は、「魔笛」がKV620、そして「皇帝ティートの慈悲」がKV621。よって、「皇帝ティートの慈悲」の方が先に完成し初演されたにも関わらず最後のオペラは「皇帝ティートの慈悲」ということになっている。ちなみにモーツァルト最晩年とも言えるこの時期に書かれた主な作品は、最高に美しい旋律とハーモニーを持つ珠玉の小品「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が1791年6月でKV618。モーツァルトの最高傑作の1つ「クラリネット協奏曲」が1791年10月完成でKV622。本当の遺作となった「レクイエム」は未完成に終ったが、KV626である。そして、モーツァルトは、1791年12月5日に35歳の若さで死んでしまったのである。
さて話しを「魔笛」に戻そう。この作品をモーツァルトに依頼したのはヨハン・エマヌエル・シカネーダーという人物。モーツァルトより5歳年長で、同じフリーメイソンの友人で、歌手、俳優、興行師、劇場経営者、台本作家というマルチプルな人物。自分で「魔笛」の台本を書き、初演では鳥刺しのパパゲーノ役で出演した。当時、自分が支配人を務めるアウフ・デア・ヴィーデン劇場の経営に行き詰っていたが、「魔笛」の大成功によって救われた。その後、この劇場が手狭になったため、1801年に作った劇場が今もウィーンに残って実際に使われているアン・デア・ウィーン劇場である。ウィーンの回でも書いたが、のちにベートーヴェンはこの劇場に2年間住み込んで「交響曲第3番<英雄>」などを作曲、オペラ「フィデリオ」、「ヴァイオリン協奏曲」「交響曲第5番<運命>」「交響曲第6番<田園>」などを初演した。そしてこの劇場には今もパパゲーノ門があり、パパゲーノを演じるシカネーダーと3人の童子の像が残っている。9月30日の初演は大成功で、モーツァルトが死ぬ2ヶ月ちょっとの間に100回を超える公演が行われたので、凄い反響だったようである。

アン・デア・ウィーン劇場のパパゲーノ門とパパゲーノと3人の童子

もう1枚

ザルツブルクにあるモーツァルト広場と銅像

ミラベル庭園 右に見えるのがモーツァルテウムで、中庭には「魔笛の小屋」がある。
これは、モーツァルトが「魔笛」を作曲した家で、ウィーンからザルツブルクに寄贈された。
モーツァルトの作品の配列する時の作品番号、ケッヘル番号(KV)は、「魔笛」がKV620、そして「皇帝ティートの慈悲」がKV621。よって、「皇帝ティートの慈悲」の方が先に完成し初演されたにも関わらず最後のオペラは「皇帝ティートの慈悲」ということになっている。ちなみにモーツァルト最晩年とも言えるこの時期に書かれた主な作品は、最高に美しい旋律とハーモニーを持つ珠玉の小品「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が1791年6月でKV618。モーツァルトの最高傑作の1つ「クラリネット協奏曲」が1791年10月完成でKV622。本当の遺作となった「レクイエム」は未完成に終ったが、KV626である。そして、モーツァルトは、1791年12月5日に35歳の若さで死んでしまったのである。
さて話しを「魔笛」に戻そう。この作品をモーツァルトに依頼したのはヨハン・エマヌエル・シカネーダーという人物。モーツァルトより5歳年長で、同じフリーメイソンの友人で、歌手、俳優、興行師、劇場経営者、台本作家というマルチプルな人物。自分で「魔笛」の台本を書き、初演では鳥刺しのパパゲーノ役で出演した。当時、自分が支配人を務めるアウフ・デア・ヴィーデン劇場の経営に行き詰っていたが、「魔笛」の大成功によって救われた。その後、この劇場が手狭になったため、1801年に作った劇場が今もウィーンに残って実際に使われているアン・デア・ウィーン劇場である。ウィーンの回でも書いたが、のちにベートーヴェンはこの劇場に2年間住み込んで「交響曲第3番<英雄>」などを作曲、オペラ「フィデリオ」、「ヴァイオリン協奏曲」「交響曲第5番<運命>」「交響曲第6番<田園>」などを初演した。そしてこの劇場には今もパパゲーノ門があり、パパゲーノを演じるシカネーダーと3人の童子の像が残っている。9月30日の初演は大成功で、モーツァルトが死ぬ2ヶ月ちょっとの間に100回を超える公演が行われたので、凄い反響だったようである。

アン・デア・ウィーン劇場のパパゲーノ門とパパゲーノと3人の童子

もう1枚

ザルツブルクにあるモーツァルト広場と銅像

ミラベル庭園 右に見えるのがモーツァルテウムで、中庭には「魔笛の小屋」がある。
これは、モーツァルトが「魔笛」を作曲した家で、ウィーンからザルツブルクに寄贈された。





