ドレスデンが誇る名門ゼンパーオーパー
エルベ川のフィレンツェとも呼ばれる古都ドレスデン。中世からザクセン王国の首都として栄華を極め、19世紀にはパリを凌ぐほどの音楽都市としても栄えた。
ドレスデンはドイツオペラ史そのものと言ってよいほどの歴史を誇る。まず、ドイツ人作曲家のハインリッヒ・シュッツ(1585-1672)が、1617年に宮廷楽団を作り、1627年に最古のドイツ語によるオペラ「ダフネ」をザクセン王家の婚礼のために書き、ヴァイセンフェルス城で初演した。当時フィレンツェで生まれたばかりのオペラはすべてイタリア語のものであったため、画期的な出来事であった。そして、1667年には現在のゼンパーオーパーの前身である宮廷歌劇場が建てられた。次にドレスデンのオペラ史に名前を刻むのは、カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)で、1817年から1826年まで宮廷歌劇場の音楽監督として活躍した。ウェーバーは、ドイツ語によるオペラの確立を目指し、ドイツ・ロマン派オペラの金字塔「魔弾の射手」を作曲、1821年にベルリンで初演した。そして、「魔弾の射手」はドレスデンでも最重要な演目として、今まで最も多く上演されているオペラとなっている。1841年に建築家ゴットフリート・ゼンパーによって新しいザクセン宮廷歌劇場を建てたが、この劇場が彼の名前を取ってゼンパーオーパーと呼ばれることになった。その新しいオペラハウスに乗り込んできたのがリヒャルト・ワグナー(1813-1883)である。ワグナーは1843年から49年まで宮廷楽長を務め、「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」の初演を行い、熱狂的に受け入れられた。ワグナーが去った後しばらく低迷期を迎えるが、音楽総監督のエルンスト・フォン・シューフ(1846-1914)によってリヒャルト・シュトラウスの連続初演によって蘇る。1901年の「火難」から「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」と現在彼の代表作と呼ばれる作品が矢継ぎ早に初演された。その後も「アラベラ」「無口な女」「ダフネ」などが初演された。特に「ばらの騎士」の人気は凄まじく、ベルリンのオペラファンのために「ばらの騎士号」という臨時列車が運行されるほどだった。そして、シュトラウスの他にもブゾーニの「ファウスト博士」、ヒンデミットの「カルディアック」なども初演された。1945年の空襲によって壊滅的な打撃を被り、シュウピールハウスで上演が行われていたが、空襲40周年で、しかもシュッツ生誕400周年の年、1985年に「魔弾の射手」で遂に再開場を果たす。2002年には大洪水で大きな被害を受けたが、再び不死鳥のように蘇った。

劇場広場から正面外観

ゲーテとシラーが見守る正面入口

大聖堂よりゼンパーオーパーを望む

劇場広場から正面外観

ゲーテとシラーが見守る正面入口

大聖堂よりゼンパーオーパーを望む





