ウィーンの音楽事情 第4回
ウィーン編も今週で4回目。今回は2大コンサートホールの1つコンツェルトハウスと年末年始のウィーンの音楽ハイライトを。
楽友協会と並んでウィーンを代表するコンサートホール、コンツェルトハウスは、1913年10月19日に開場した。ウィーン国立歌劇場やフォルクスオパーの時にも名前が出てきた皇帝フランツ・ヨーゼフ列席のもと、リヒャルト・シュトラウスが書き下ろした「祝典前奏曲」とベートーヴェンの「交響曲第九番」が演奏された。このようなプログラム、すなわち現代の音楽と過去の名作を組み合わせる方法は、その後もコンツェルトハウスの基本となった。そして、現在でも伝統と革新という2つの大原則は脈々と生きている。伝統(過去の傑作)と言うのはどこの劇場でも大切にするであろうが、現代音楽を大切にするという原則は、大変重要である。実際にこの劇場が果たしてきた役割は非常に大きく、ストラヴィンスキー、バルトーク、ラヴェルらのウィーン初演やウェーベルン、ベルクら新ウィーン楽派の初演、その他にも無名な作曲家の作品も数多く取り上げてきた。なお、当時の時代背景だが、翌1914年6月にはサラエボでハプスブルク家のフェルディナント大公が暗殺され、それをきっかけに第一次世界大戦が勃発したので、まさに革命前夜という時代であった。その後ナチスによって娯楽施設として使われた不幸な時代もあったが、第二次世界大戦後はウィーンの音楽発信基地として活躍を続けてきた。

コンツェルトハウス・大ホールの豪華なステージ
さて、コンツェルトハウスだが、ユーゲントシュティール様式によって建てられた壮麗な建造物。中は細かく分かれて実に5つものホールを持っている。1番大きな1,880席の大ホール、700席のモーツァルトザール、330席のシューベルトザールとこの3つのホールを中心に、ノイヤーザール、シェーンベルクザールと曲目や演奏形態によって使い分けられている。
コンツェルトハウスの場所だが、リンクのすぐ外側の3区にあり、隣は屋外のアイススケート場、斜向かいにはベートーヴェン公園とベートーヴェンの記念像がある。そしてすぐ近くには、かの有名な金色に輝くヨハン・シュトラウス2世がヴァイオリンを弾いている像のある市立公園もある。
コンツェルトハウスを本拠地にするのはウィーン交響楽団。1900年創設という歴史を誇り、20世紀の巨匠と呼ばれる指揮者はほぼ全員が指揮台に立ったと言っても過言ではない。戦後カラヤンによって飛躍し、その後もサヴァリッシュ、ジュリーニ、プレートル、ブルゴスらが活躍、2005年からはイタリア人のファビオ・ルイージが主席指揮者を務めている。ニコラウス・アーノンクールがチェリストとして、1952年1969年まで在籍した。また、1946年以来、ブレゲンツ湖上音楽祭のホストオーケストラとしても活躍している。また、ウィーンフィルのジルヴェスターコンサート、ニューイヤーコンサートと同様、大晦日と元旦にはベートーヴェンの第九をコンツェルトハウスで演奏するのが伝統になっている。

同じく大ホールのステージ この写真はマーラーの交響曲第8番

コンツェルトハウス・大ホールの豪華なステージ
さて、コンツェルトハウスだが、ユーゲントシュティール様式によって建てられた壮麗な建造物。中は細かく分かれて実に5つものホールを持っている。1番大きな1,880席の大ホール、700席のモーツァルトザール、330席のシューベルトザールとこの3つのホールを中心に、ノイヤーザール、シェーンベルクザールと曲目や演奏形態によって使い分けられている。
コンツェルトハウスの場所だが、リンクのすぐ外側の3区にあり、隣は屋外のアイススケート場、斜向かいにはベートーヴェン公園とベートーヴェンの記念像がある。そしてすぐ近くには、かの有名な金色に輝くヨハン・シュトラウス2世がヴァイオリンを弾いている像のある市立公園もある。
コンツェルトハウスを本拠地にするのはウィーン交響楽団。1900年創設という歴史を誇り、20世紀の巨匠と呼ばれる指揮者はほぼ全員が指揮台に立ったと言っても過言ではない。戦後カラヤンによって飛躍し、その後もサヴァリッシュ、ジュリーニ、プレートル、ブルゴスらが活躍、2005年からはイタリア人のファビオ・ルイージが主席指揮者を務めている。ニコラウス・アーノンクールがチェリストとして、1952年1969年まで在籍した。また、1946年以来、ブレゲンツ湖上音楽祭のホストオーケストラとしても活躍している。また、ウィーンフィルのジルヴェスターコンサート、ニューイヤーコンサートと同様、大晦日と元旦にはベートーヴェンの第九をコンツェルトハウスで演奏するのが伝統になっている。

同じく大ホールのステージ この写真はマーラーの交響曲第8番





