本・エンタメ

2007/12/14

ウィーンの音楽事情 第2回

さてウィーン編の第2回。もちろん最初は世界に冠たるウィーン国立歌劇場。

ウィーン国立歌劇場、ドイツ語でヴィーナー・シュターツオパー。ドイツ語圏最高のオペラハウスとして輝かしい歴史と伝統を持ち、今もって世界に君臨する名門劇場である。ハプスブルク帝国晩年の皇帝フランツ・ヨーゼフの時代に宮廷歌劇場として国の威信を賭けて作られた。フランツ・ヨーゼフは、城壁を壊し、現在のリンク通りと呼ばれる環状道路を作るという都市計画を実行したが、その目玉の1つがこのオペラハウスであった。なお、フランツ・ヨーゼフの皇后は、かの有名なエリザベート(シシィ)である。
 簡単に歴史を振り返ると、1861年から工事が始まり、7年半の歳月をかけ、1869年5月25日、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」(ドイツ語での上演)で開場した。ハプスブルク家にとって、この時代がどういう時代かと言うと、イタリア統一戦争に敗れてイタリアから撤退、プロイセン王国のビスマルクにも破れ、さらには1867年にハンガリーに政治的な独立を認める形でオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立、と政情は不安定な時代であった。

王宮庭園にあるモーツァルト像

 その後、音楽監督のウィルヘルム・ヤーン、グスタフ・マーラーらが最初の黄金時代を築いたが、特にマーラーは1897年から1907年という10年の在職期間にワグナー作品に力を入れ、世界的なオペラハウスの基礎を作った。第1次世界大戦によってハプスブルク帝国は滅び、名前が国立歌劇場に変わったが、リヒャルト・シュトラウスらによってオペラハウスは高い水準を維持し続けた。1945年3月、第2次世界大戦の連合軍の爆撃によってほぼ全壊してしまったが、戦後はフォルクスオパーとアン・デア・ウィーンの2つの劇場で、オーストリア人の希望の光のように上演が続けられた。そして膨大な費用をかけて再建工事が進められ、1955年11月5日、カール・ベームの指揮によってベートーヴェン唯一のオペラ「フィデリオ」で再開場を果たした。その後もヘルベルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼル、クラウディオ・アッバードらが音楽監督、主席指揮者を務め、2002年シーズンからは小澤征爾が音楽監督に就任して大きな話題になった。また、2010年からは、オーストリア人指揮者のフランツ・ウェルザー=メストがその後任に就くことが発表されている。一昨年2005年11月5日には再開場50周年記念として、素晴らしい指揮者とスター歌手が一同に集められ、ガラコンサートが行われた。数多くの初演も行われているが、主なものとしてはマスネの「ウェルテル」、シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」などが挙げられる。

ウィーン国立歌劇場外観





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