本・エンタメ

2007/03/07

学園祭でのミュージカル・ショウへの参画

1916年、14歳になったディックは夏の2週間ほどをキャンプ・ウィグウォムで過ごした。同じ年頃の少年たちは、野球やフットボールに夢中になっていたが、ディックはスポーツはあまり好きではなかった。水泳には多少熱心だったが、彼の関心の大部分は音楽に向けられた。

キャンプに滞在中、彼はみずから2曲を作詞・作曲している。それらは「ディア・オールド・ウィグウォム」と「キャンプ・ファイア・デイズ」というものだった。
さて、この当時、のちにディックのパートナーになるロレンツ・ハートは、ディックの家の近くに住んでおり、作詞家を志して作詞活動を続けていた。彼はディックよりも7歳年長である。

ロレンツ・ハートはハイスクールを卒業すると、コロンビア大学に進んだ。ある日曜日の午後、ディックの兄のモーティマーのクラスメイトで、やはりコロンビア大学に入学したてのフィリップ・リービットが、ディックをロレンツ・ハートに引き合わせてくれた。
 かつて弟のディックをいじめた兄のモーティマーも、父にならって医者になることを決心し、昔のわんぱくぶりもかげをひそめている。音楽好きで、作曲家志望の弟のために協力を惜しまない兄弟愛を示してくれたのである。

 ロレンツの家を訪れると、彼はやあやあと気さくにディックを迎え入れてくれた。仲介したフィリップがディックとロレンツを引き合わせると、改まった挨拶は抜きにしようや、といわんばかりに、ロレンツはマイペースで、せわし気に動き始める。
 ピーナッツを噛んでいるかと思うと、チョコレート・サンデーをペロリと食べてしまい、今度はレモンパイにも手を出す。その間ペラペラとせっかちに喋り捲り、片時も黙ってはいない。これにはディックもいささか戸惑いを覚えたが、どうやらこのロレンツ・ハートという男は気のおけぬ、いい人らしいと感じた。二人は最初の日にすっかり打ち解け、互いに相手を気に入ってしまう。こうして世に名高いロジャース ― ハートのコンビは誕生した。

 作曲家を志望するディックのパートナーとなった作詞家志望のラリー(ロレンツ・ハートの略称、以下ラリーで統一。)は、気の毒なことにわずか150センチしか身長がなかった。
 異性に惚れっぽいラリーは、ハイスクールからコロンビア大学に進学した当時、何人かのガールフレンドと交際を試みたが、すぐに振られてしまうのだった。そういうことが続いたせいか、彼はかかとが10センチ余りもあるハイヒールを履き、少しでも背を高く見せようとしていた。

 1920年コロンビア大学へ進んだディックは、ラリーと大学の学園祭のために、あるミュージカルを作った。題名は「フライ・ウィズ・ミー」というものだった。ディックは、ジェローム・カーンやアメリカ民謡の父とも呼ばれているスティーブ・コリンズ・フォスターを尊敬し、彼らの曲をとても好んでいた。そのせいか、「フライ・ウィズ・ミー」に挿入されている10数曲に耳を傾けていると、「オールド・ブラック・ジョー」的な曲調のものが多い。

このミュージカルでディックはラリーと組んで13曲のうち12曲を作っているが、残りの1曲は、オスカー・ハマーシュタイン・ジュニアとのものであることは、まことに興味深い。このときから23年後の1943年にディックはオスカーと組んで、かの有名な大ヒット作「オクラホマ!」を世に送り出すことになる。







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