『王様と私』『海での勝利』
1950年の初頭、ロジャースとハマーシュタイン(R&H)は、女優のガートルード・ローレンスの弁護士から、映画『アンナとシャム王』(レックス・ハリスンとアイリーン・ダンが主演)のミュージカル化に関心があるかどうか問い合わせを受けた。
実はこの映画を観たローレンスがとても気に入り、自分を主人公(アンナ)にしてのミュージカルを作ってもらいたいと切望したのだった。R&HはただちにOKした。
『王様と私』の私( ・ )のほう(・・・)は
ローレンスで決定したが、さて王様(・・)を誰にするかで選考が難航した。
レックス・ハリスンは歌唱力に自信がもてないとし辞退した。
そこで、あの『オクラホマ!』に主演したアルフレッド・ドレイクを起用せんとR&Hは彼をくどきにかかった。ドレイクは「とても光栄です。私は是非この役をやりたい」と切り出したが、その言葉のあとにBUTがついた。「でも、実は先約が入っているんです」
R&Hはがっかりしたが、深追いをせず、また縁があったら協力して欲しいとドレイクに伝えて、このミュージカルのオーディション会場であるマジェスティック劇場へおもむいた。
劇場に着いたとき、オーディションに現れた東洋系の顔をして頭をツルツルにそっている特異な風貌の男が、カジュアル・ウェアーを身にまとい、ギターを抱えて登場した。そして舞台の上であぐらをかき、R&Hが今まで耳にしたことのないようなオリエンタル・サウンドを大声で歌いはじめた。R&Hはしばらくその男の様子を観察していたが、互いに目を合わせ、うなづきあった。こうしてこの男が王様の役に採用された。男の名は、ユル・ブリンナーといった。アルフレッド・ドレイクと別れて、この男を採用するまでに、なんと、わずか30分しかかからなかったそうな。
集中力に秀れているR&Hは、ものごとを決断するのもとても速かった。
縁とは不思議なもので、のちにブリンナーが3ヶ月ほどの休暇をとって一時的にこの舞台から離れた折に、アルフレッド・ドレイクがブリンナーの代役として王様の役をつとめたという。
このミュージカルはヒット曲も多かったが、ジェローム・ロビンズが振り付けにあたった劇中劇、「アンクル・トムの小屋」のバレエがたいそう高評価を得た。
1951年の秋、ロジャースは米国海軍から協力を依頼された。それはNBCが放映するテレビのドキュメンタリー番組、『VICTORT AT SEA』に13時間にもおよぶ組曲を書いてほしいというもので、日本軍とのガダルカナルにおける戦闘をテーマにしたものだった。
実に素晴らしい、雄大な曲調のものが、それこそびっしりとつまっているが、とくに「BENEATH THE SOUTHERN CROSS」(南十字星の下で)は、美しいメロディーだ。
ロジャースは、この曲を、『王様と私』の次に発表したミュージカル、『私とジュリエット』の中で「NO OTHER LOVE」(ほかならぬ恋)として使用した。当時、私は高校生で、毎週ラジオから流れてくるS盤アワーという番組が大好きだった。この番組で、ペリー・コモが歌う「NO OTHER LOVE」は、何週間もヒット・チャートの第1位を占めつづけたものだった。
『私とジュリエット』は、1953年5月28日、マジェスティック劇場でオープンしたが、この時期、R&Hのミュージカルは、この他『王様と私』が、セイント・ジェームズ劇場で、『南太平洋』がブロードウェイ劇場で続演中であり、これに加えて『オクラホマ!』のリバイバル版が、シティーセンターで上演されていた。つまりR&Hのミュージカルがニューヨークで同時に4本も競演(・・)していたことになる訳だ。
『王様と私』の私( ・ )のほう(・・・)は
ローレンスで決定したが、さて王様(・・)を誰にするかで選考が難航した。
レックス・ハリスンは歌唱力に自信がもてないとし辞退した。
そこで、あの『オクラホマ!』に主演したアルフレッド・ドレイクを起用せんとR&Hは彼をくどきにかかった。ドレイクは「とても光栄です。私は是非この役をやりたい」と切り出したが、その言葉のあとにBUTがついた。「でも、実は先約が入っているんです」
R&Hはがっかりしたが、深追いをせず、また縁があったら協力して欲しいとドレイクに伝えて、このミュージカルのオーディション会場であるマジェスティック劇場へおもむいた。
劇場に着いたとき、オーディションに現れた東洋系の顔をして頭をツルツルにそっている特異な風貌の男が、カジュアル・ウェアーを身にまとい、ギターを抱えて登場した。そして舞台の上であぐらをかき、R&Hが今まで耳にしたことのないようなオリエンタル・サウンドを大声で歌いはじめた。R&Hはしばらくその男の様子を観察していたが、互いに目を合わせ、うなづきあった。こうしてこの男が王様の役に採用された。男の名は、ユル・ブリンナーといった。アルフレッド・ドレイクと別れて、この男を採用するまでに、なんと、わずか30分しかかからなかったそうな。

集中力に秀れているR&Hは、ものごとを決断するのもとても速かった。
縁とは不思議なもので、のちにブリンナーが3ヶ月ほどの休暇をとって一時的にこの舞台から離れた折に、アルフレッド・ドレイクがブリンナーの代役として王様の役をつとめたという。
このミュージカルはヒット曲も多かったが、ジェローム・ロビンズが振り付けにあたった劇中劇、「アンクル・トムの小屋」のバレエがたいそう高評価を得た。
1951年の秋、ロジャースは米国海軍から協力を依頼された。それはNBCが放映するテレビのドキュメンタリー番組、『VICTORT AT SEA』に13時間にもおよぶ組曲を書いてほしいというもので、日本軍とのガダルカナルにおける戦闘をテーマにしたものだった。
実に素晴らしい、雄大な曲調のものが、それこそびっしりとつまっているが、とくに「BENEATH THE SOUTHERN CROSS」(南十字星の下で)は、美しいメロディーだ。
ロジャースは、この曲を、『王様と私』の次に発表したミュージカル、『私とジュリエット』の中で「NO OTHER LOVE」(ほかならぬ恋)として使用した。当時、私は高校生で、毎週ラジオから流れてくるS盤アワーという番組が大好きだった。この番組で、ペリー・コモが歌う「NO OTHER LOVE」は、何週間もヒット・チャートの第1位を占めつづけたものだった。
『私とジュリエット』は、1953年5月28日、マジェスティック劇場でオープンしたが、この時期、R&Hのミュージカルは、この他『王様と私』が、セイント・ジェームズ劇場で、『南太平洋』がブロードウェイ劇場で続演中であり、これに加えて『オクラホマ!』のリバイバル版が、シティーセンターで上演されていた。つまりR&Hのミュージカルがニューヨークで同時に4本も競演(・・)していたことになる訳だ。






