本・エンタメ

2007/03/13

『ロジャース&ハート・コンビ』

1925年、彼らはミュージカル、「ギャリック・ゲイエティーズ」を発表した。名曲「マンハッタン」をはじめとし、ロジャースの曲をほめたたえる劇評が新聞を飾り、当時としては211回というロングラン公演となった。

翌26年には「ガール・フレンド」が、ヴァンダービルド劇場でオープンし、301回続演という輝かしい記録を打ち立てた。後世にまで残る、いわゆるスタンダード・ナンバーになったものとして、「ブルー・ルーム」と「マウンテン・グリーナリー(山は緑に)」がある。    
つづいて1927年に世に送り出した「ア・コネチカット・ヤンキー」は、さらにヒットし、418回続演となった。“THOU SWELL(汝、カッコイイ)”、“MY HEART STOOD STILL”、
“YOU ALWAYS LOVE THE SAME GIRL”などの楽曲が生まれた。
 このミュージカルが誕生する10ヶ月ほど前、ロジャースとハートはパリに遊んだ。ある晩、女の子2人と、4人で乗ったタクシーが街角で別のクルマと出会い頭に、あわや衝突しそうになった。このとき、女の子の1人が、“Oh, My heart stood still!”と大声を発した。

万事につけて好奇心旺盛なハートは、それを聞いた途端、「ウン、このフレーズは曲のタイトルに使えるぞ」とニンマリしていたが、いつしか忘れてしまったらしい。
「ア・コネチカット・ヤンキー」の作詞中、なかなかアイディアが湧き出てこないとハートが苦しんでいたとき、ロジャースはハートに1枚のメモを示した。ハートは驚いた顔で、「いったい君はいつから作詞もてがけるようになったんだ!」と声を発したが、その目は満足げに笑っていた。几帳面なロジャースはクルマの中で、以前ハートが口にしたセリフをしっかり自身の手帳に書きつけ覚えていたのだった。こうして名曲“MY HEART STOOD STILL”が生まれた。
 
“THOU SWELL”と、この“MY HEART STOOD STILL”の2曲は、モダンジャズの演奏者たちによって好んで演奏される人気ナンバーだ。今日でも世界各地でよく耳にすることができるから、お聴きになった方々も多かろう。
 
1930年に舞台にのせた「シンプル・サイモン」の中で、ロジャースが最も自身をもって作曲した「DANCING ON THE CEILING」は、プロデューサーのフロレンツ・ジーグフェルドによって公演の前にカットされてしまう。あきらめきれぬロジャースは、されば、と、イギリス製ミュージカルの「エバー・グリーン」の中に、この歌を挿入したところ、これが大ヒットした。
 
彼はとても温厚で、忍耐心があり、滅多に他人と争うようなことのない人だが、実にねばり強いというか、しつこいところがあり、かなりこだわりの人である。なんらかの理由で、オープニングに先駆け、ドロップしてしまった曲を、彼はセーブしておいて、必ずのちの作品の中で、生かして用いている。
 たとえば、「南太平洋」からカットされてしまった“LONELINESS OF EVENING”を、数年後、「シンデレラ」というテレビ用ミュージカル(のちに舞台用ミュージカルとしても作られている)の中の一曲として用い、成功している。
 
1931年から34年にかけロジャースとハートはニューヨークを離れ、数年間をハリウッドで過ごす。この間、いくつかの映画とかかわりをもったが、それらの中でも「LOVE ME TONIGHT」で、当時人気の当時人気のモーリス・シュバリエやジャネット・マクドナルドらによって唱えられた“ISN‘T IT ROMANTIC”、“MIMI”“LOVER”はスマッシュ・ヒットし、今日でも広く演奏されると同時に、ホテルや高級レストランなどではBGM としてよくこれらを用いている。






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