ロックは死なない4 キング・クリムゾンと新世代への啓示
キング・クリムゾンは『クリムゾン・キングの宮殿』で衝撃的なデビューを果しました。それは、決して明るい音楽ではなかったのですが、そのてごたえのある重さこそが、ロックとして求められていたものだったと思います。
バンドは頻繁なメンバーチェンジによって変化し続けましたが、その中で、ロバート・フィリップが一貫した世界観を持ち続けていました。70年代のラストアルバム『レッド』で、一度ふっきれてしまうのですが・・・。
King Crimsonというバンドを考えたとき、それはまずは、『In The Court Of The Crimson King』というデビューアルバムから、『Red』という、ひとまずの終わりまでの、この2つを到達点とした活動、そう考えることができると思うのです。その間にある5枚のスタジオ録音は、あくまで過程なのではなかったか、とも。

もちろん、ぼくが最初に手に入れたKing Crimsonのアルバムが、この70年代のベストアルバム『The Young Person’s Guide To King Crimson』だったから、というのは理由になっています。けれども、このアルバムに収録された曲は、上記2枚のアルバムで半分になってしまう、もっと言えば、『In The Court Of The Crimson King』からは、唯一「21st Century Schizoid Man」だけだったという(「I Talk To The Wind」は、正確に言えば女性ボーカルによる別バージョン)。そういうところに、Robert Frippの各アルバムへの評価というものが見えてしまうのです。だから、70年代の活動の結果としてのベストアルバムが、新世代のためのKing Crimsonの姿としてあったとして、それでいいと思うのです。
話が走りすぎました、ですね。

King Crimsonのデビューは鮮烈でした。1969年に発表された『In The Court Of The Crimson King』は、NMEの全英チャートに初登場第5位。このときの1位はBeatlesの『Abbey Road』でした。Robertをはじめ、Ian McDonald、Greg Lake、Michael Giles、そして作詞を担当するPeter Sinfieldの5人は、この時点で完成されたスタイルを持ち、歴史に残る音楽を創造していた、ということです。何より、Robertのワンマンバンドではありませんでした。
King Crimsonがこの1枚のアルバムで消えたら、単なる一発屋ということになるのでしょう。けれども、そうはならないほど強い音楽性を、このバンドは持っていました。
『In The Court Of The Crimson King』のジャケットのイラストは、うちの子供たちにとっては「変な顔」としか言い様のないものでしたし、あまり部屋に飾っておきたいというものではありません。音楽も、暗くて重く、憂鬱になるほど美しいというものでした。「混乱こそ我が墓碑銘」、デビュー作でそう言われても、と思います。それが、ヒットしたのです。
King Crimsonの持つ明確な世界観、それは、けっしてユートピアでも天国でもなく、あえて言えばダーク・ファンタジーの世界、とでも言うのでしょうか。けれども、そうした世界からでも人は立ち上がってくる、ポジティブに解釈すればそうなります。そういう世界だからこそ、人は過剰になれる、そう思うのです。

King Crimsonは一発屋ではない、それだけの実力を持ったバンドだったのですが、そうであっても、ファーストアルバムの高い完成度と大きな成功は重かったと思います。果てしなくメンバーチェンジを繰り返し、アルバムの製作を続けてきました。Robertのみが、その世界観を引き受け、それを発展させようとしました。時に、ゲストミュージシャンを起用し、サードアルバムの『Lizard』では、タイトル曲となる組曲の最初のパートを、YesのJon Andersonが歌っています。もちろん、高音のパートを歌えるボーカリストがKing Crimsonに不在だったからですが、これはよく考えると、Jimmy PageがDeep Purpleにゲスト参加するようなもので、それはそれですごいことかもしれません。
そうして、7枚目のスタジオアルバム『Red』を製作する段階では、メンバーはRobert Fripp、John Wetton、Bill Brufordの3人になっていました。

もちろん、ぼくが最初に手に入れたKing Crimsonのアルバムが、この70年代のベストアルバム『The Young Person’s Guide To King Crimson』だったから、というのは理由になっています。けれども、このアルバムに収録された曲は、上記2枚のアルバムで半分になってしまう、もっと言えば、『In The Court Of The Crimson King』からは、唯一「21st Century Schizoid Man」だけだったという(「I Talk To The Wind」は、正確に言えば女性ボーカルによる別バージョン)。そういうところに、Robert Frippの各アルバムへの評価というものが見えてしまうのです。だから、70年代の活動の結果としてのベストアルバムが、新世代のためのKing Crimsonの姿としてあったとして、それでいいと思うのです。
話が走りすぎました、ですね。

King Crimsonのデビューは鮮烈でした。1969年に発表された『In The Court Of The Crimson King』は、NMEの全英チャートに初登場第5位。このときの1位はBeatlesの『Abbey Road』でした。Robertをはじめ、Ian McDonald、Greg Lake、Michael Giles、そして作詞を担当するPeter Sinfieldの5人は、この時点で完成されたスタイルを持ち、歴史に残る音楽を創造していた、ということです。何より、Robertのワンマンバンドではありませんでした。
King Crimsonがこの1枚のアルバムで消えたら、単なる一発屋ということになるのでしょう。けれども、そうはならないほど強い音楽性を、このバンドは持っていました。
『In The Court Of The Crimson King』のジャケットのイラストは、うちの子供たちにとっては「変な顔」としか言い様のないものでしたし、あまり部屋に飾っておきたいというものではありません。音楽も、暗くて重く、憂鬱になるほど美しいというものでした。「混乱こそ我が墓碑銘」、デビュー作でそう言われても、と思います。それが、ヒットしたのです。
King Crimsonの持つ明確な世界観、それは、けっしてユートピアでも天国でもなく、あえて言えばダーク・ファンタジーの世界、とでも言うのでしょうか。けれども、そうした世界からでも人は立ち上がってくる、ポジティブに解釈すればそうなります。そういう世界だからこそ、人は過剰になれる、そう思うのです。

King Crimsonは一発屋ではない、それだけの実力を持ったバンドだったのですが、そうであっても、ファーストアルバムの高い完成度と大きな成功は重かったと思います。果てしなくメンバーチェンジを繰り返し、アルバムの製作を続けてきました。Robertのみが、その世界観を引き受け、それを発展させようとしました。時に、ゲストミュージシャンを起用し、サードアルバムの『Lizard』では、タイトル曲となる組曲の最初のパートを、YesのJon Andersonが歌っています。もちろん、高音のパートを歌えるボーカリストがKing Crimsonに不在だったからですが、これはよく考えると、Jimmy PageがDeep Purpleにゲスト参加するようなもので、それはそれですごいことかもしれません。
そうして、7枚目のスタジオアルバム『Red』を製作する段階では、メンバーはRobert Fripp、John Wetton、Bill Brufordの3人になっていました。





