本・エンタメ

Column Title : 

2008/08/09

ディーバの囁き8  スーザン・アグルカークとジス・チャイルド

スーザン・アグルカークは、日本ではあまりなじみのないミュージシャンですが、カナダ出身でイヌイットをルーツに持つ音楽は、自然への畏敬を持ち、心を癒してくれるでしょう。けれどもそこには、自然を破壊し続けている私たちへの批判もこめられていると思います。

 Jon Andersonのワールドミュージックへの関心と平行して、ぼく自身もまた、いろいろな国のポップミュージックを聞くようになりました。そうした中で、Susan Aglukarkは他にない存在として、きちんと紹介しておきたいと思っています。それは、ラテン音楽の中南米から北米へとさかのぼる旅でもありました。

ぼくがSusanのCDと出あったのは、90年代後半です。銀座の山野楽器でめぼしい洋楽はないものかと探していたときに、目に入ってきました。イヌイットのミュージシャンによる音楽ということだけで、ぼくの好奇心はかきたてられたというわけです。エスニック調のジャケットも、悪くありませんでした。地味かもしれない、とも思いましたが。それが、Susanが初めてメジャーからリリースすることを前提としてレコーディングしたアルバム『This Child』でした。

誤解を恐れずに言うのであれば、このアルバムのテイストは、Enyaの音楽をもっと泥臭くしたもの、と言えばいいでしょうか。悪い意味ではないのです。Susanの音楽は、Enyaの背景にケルト音楽があるように、イヌイットのフォークソングがある、けれども、Enyaよりもフィジカルなところがある、ということなのです。そして、このフィジカルな要素を持った音楽を、ぼくは何度も聴きました。
あるいは、Enyaがゲール語を歌うように、Susanはイヌイットの言葉を使います。それは、民族的な出自を言えば、ケルト人よりもイヌイットの方が日本人に近い、ということはあるのかもしれません。もちろん、民族のことなんか、問題にしたくはないのですけれども。音楽は共通言語なのですからね。
そうではあっても、ボーカルを多重に録音し、シンセとストリングスで落ち着きのある演奏をバックに歌う。エスニックな曲調と癒しを感じさせる歌詞は、本当であれば、もっとたくさんの人に聴いてもらえる、普遍的なポップミュージックだったはずだ、そう思うのです。

ことはそう単純ではありません。イヌイットというよりも、日本ではエスキモーという言葉の方が、人に知られているでしょう。けれども、エスキモーという言葉は元々、イヌイットの言葉で「肉を食べる人」という意味であり、イヌイット自身は人間という意味でイヌイットという言葉を使っているといいます。それで、ここではイヌイットという言葉を使っています。
もっとも、Susanはカナダのイヌイットですが、アラスカ在住のイヌイットの場合、自らをあえてエスキモーとよんでいるという話もあるようです。
では、イヌイットでいいのかというと、そうとは限らないのです。昔、インディアンとよんでいたアメリカ原住民は、今ではネイティブ・アメリカンとよばれています。インディアンとは、インド人という意味です。それは、コロンブスが新大陸を発見したときに、それは新大陸ではなくインド亜大陸だと思っていたことに由来します。ですから、カリブの島々は西インド諸島でした。もちろん、今では誰もが、そこがインドから遠く派なれた場所だと知っています。ですから、インディアンではなく、ネイティブ・アメリカンなのです。そして、イヌイットは北極圏のネイティブ・アメリカンということになるのです。

中南米でも北米でも、原住民は、ヨーロッパからやってきた侵略者の被害者でした。土地を奪われ、虐殺され、あるいは病気を持ち込まれました。イヌイットも例外ではなく、ただしそれはもっと違う形で、より近い時代での悲劇となったと思います。それは、伝統的な狩猟生活を奪われ、他のネイティブ・アメリカンのように保護される立場になってしまったにもかかわらず、というかそれゆえに、アイデンティティを保てないというものでした。飲酒という習慣はイヌイットにはなかったのですが、それがかえって人々をお酒に対して無防備にし、多くのイヌイットがアルコール中毒いなったといいます。また、自殺率ということでは、イヌイットはとても高いということです。

そうであるにもかかわらず、なお、ぼくたちはワールドミュージックと称して、中南米の音楽を聴き、さらにイヌイットの音楽にまで手を伸ばしました。アングロサクソンの文明が行き詰まり、より自然に近い音楽を求める、あるいは思想を求める、そういった行為は、わからないでもありません。それが、おそらくJonがワールドミュージックに向かった理由だと思いますし、ぼくも同じです。もっと時代をさかのぼれば、BeatlesのGeorge Harrisonがインド音楽に向かったことも同じだと思います。というか、それこそ、60年代のフラワームーブメントにまでつながってしまうのですけれどもね。
そして、そうした音楽を求めてしまう姿勢というのは、批判されても仕方ないとも思っています。何を、今更、です。けれども、それでも必要な音楽として、恥を偲んでそこに向かっていくということです。





この記事のトラックバックURL:

特集

何も足さない究極の「原音」に触れる 「知名御多出横」
会員登録プレゼント

新着こだわりコラム

70's 大人のロック

2008/11/22 70… ディーバの…

旨い日本酒

2008/11/22 旨い日本酒 酒の旅人・…

自転車に夢中

2008/11/21 自転車に夢中 ピストでゆ…

大人の男のためのオペラ入門塾

2008/11/21 大人の男のた… 指揮者につ…

ほろ酔い蕎麦屋めぐり

2008/11/20 ほろ酔い蕎麦… 福岡で出会…