イエス・ミュージックの夜+2 ジョン&ヴァンゲリスと独立国家
ジョン・アンダーソンにとって、イエスにも匹敵する重要な音楽活動となったのは、ヴァンゲリスとの共作でした。そこではイエスで展開したものとは異なった、より聴く者にとって身近で内面に踏み込んだ音楽が展開されています。何より、ジョンがもっとも好きな自分の曲は、ヴァンゲリスとの共作「ステイツ・オブ・インディペンデンス(独立国家)」だといいます。
Yesが7月からスタートさせる予定だった、Close To The Edge And Backツアーがキャンセルされました。理由はJon Andersonが喘息でダウンしてしまい、緊急入院、6ヶ月の休養が必要と診断されたからです。60歳を過ぎてもなお、ワークホリックではないかというくらい、さまざまなプロジェクトを動かしていたし、ソロツアーも行っていたので、とにかく働き過ぎだと思います。それに、禁煙していなかったのかなあ、とも思うのですが。
それはともかく、ツアーのキャンセル以上に、Jonの早い健康回復を祈りたいと思います。
そういったことですので、今夜はJon&Vangelisの『The Friends Of Mr Cairo』を聴きましょう。

JonとVangelisとの関係は、70年代前半、Rick Wakemanの後任のキーボードプレイヤーを探していたところからはじまります。このとき、最初に候補に挙がったのが、ギリシャ人で元Aphrodite's Childの(と書く必要もないのですが、いちおう)Vangelisでした。しかしVangelisはソロアーティストとして活動していく気持ちは変わりませんでした。結果として、YesにはPatrick Morazが加入したわけですが、このことがきっかけで、JonとVangelisの交流がはじまります。その最初が、Vangelisの『Heaven And Hell』へのゲスト参加。ここでは「So Long Ago So Clear」という曲をJonが歌っています。また、『Opera Sauvage』ではJonがハープを弾いています。
そして1979年には、Jon & Vangelis名義での初のアルバム『Short Stories』がリリースされます。Vangelisによる短くてシンプルな曲にJonが歌詞をつけて歌う、そういうプロジェクトだったわけですが、このことがJonの音楽の方向性に大きな影響を与えました。Yes自身が、それまでの壮大プログレ路線から転換してきた時期にあたります。そこで、Jonはこの短編小説というタイトルのアルバムで、もっと日常的なことを歌っているのです。日常の中にあるテレビには世界が映し出されていること。あるいは、庭で遊ぶ小鳥のこと、シンプルなラブソング、そんなことが歌われています。
実は、子どもがまだ赤ちゃんだったときには、よく子守唄がわりに、このアルバムに収録されていた「I Hear You Now」や「Love Is」、「One More Time」なんかを、セカンドアルバムの「Beside」などとともに歌ったりもしていましたっけ。
そして、こうした音楽をYesでもやりたかったというのが、当時のJonだったと思います。けれども、そのことでYesでのメンバー間の対立が生じてしまい、パリでのセッションはそのまま次のアルバムにはつながりませんでした。
そしてJonはソロとJon & Vangelisの活動を平行して続けることになります。

Jon自身があるインタビューで、最も好きな自分の曲として答えているのが、「State Of Independence」です。この曲はDonna Summerがカバーしていて、後で示すようにバックコーラスがとんでもなく豪華だったりします。それにJon自身もソロの作品としてシングルを出しています。そして、この曲が収録されているのが、81年にリリースされたJon & Vangelisのセカンドアルバム『The Friends Of Mr Cairo』でした。
このアルバムでは、より物語に対する指向性が強まっています。1曲目のタイトル曲、いかにもギャング映画という雰囲気でアルバムがスタートします。そして前述の独立国家、ラストの「The Mayflower」、そこでの物語は、明らかにアメリカを、自由の国、新大陸として意識したものになっています。その物語は、ハリウッドに反映されている、そういうものかもしれません。余談ですが、巽孝之氏はYes論の中でことさらSimon & Garfunkelのカバー「America」にこだわり、新大陸への想いを感じ取っているようですが、その展開がこのアルバムという位置付けも可能かもしれません。
そうした中でも、ぼくはJonにおける独立国家の意味を、このアルバムを通じて感じ取ってみる、そのことは悪くないんじゃないかって思うのです。それは、パンクロックによってアナーキーなコンセプトが示されたポップミュージックの世界において、では何を頼りにしていけばいいのか、それこそ、「自分自身が独立国家である」という想い、その自由さこそが、よりどころなのだと思うのです。Donnaのカバーでは、プロデューサーのQuincy Jonesによって、アメリカを代表するアーティスト(調べてみると、びっくりしますよ)が集められ、バックコーラスに参加させていますが、そのことはJonの想いに対するQuincyの解釈だったのでしょう。そしてそのことは、この曲を聴くぼくたちにも問いかけられていると思います。
それはともかく、ツアーのキャンセル以上に、Jonの早い健康回復を祈りたいと思います。
そういったことですので、今夜はJon&Vangelisの『The Friends Of Mr Cairo』を聴きましょう。

JonとVangelisとの関係は、70年代前半、Rick Wakemanの後任のキーボードプレイヤーを探していたところからはじまります。このとき、最初に候補に挙がったのが、ギリシャ人で元Aphrodite's Childの(と書く必要もないのですが、いちおう)Vangelisでした。しかしVangelisはソロアーティストとして活動していく気持ちは変わりませんでした。結果として、YesにはPatrick Morazが加入したわけですが、このことがきっかけで、JonとVangelisの交流がはじまります。その最初が、Vangelisの『Heaven And Hell』へのゲスト参加。ここでは「So Long Ago So Clear」という曲をJonが歌っています。また、『Opera Sauvage』ではJonがハープを弾いています。
そして1979年には、Jon & Vangelis名義での初のアルバム『Short Stories』がリリースされます。Vangelisによる短くてシンプルな曲にJonが歌詞をつけて歌う、そういうプロジェクトだったわけですが、このことがJonの音楽の方向性に大きな影響を与えました。Yes自身が、それまでの壮大プログレ路線から転換してきた時期にあたります。そこで、Jonはこの短編小説というタイトルのアルバムで、もっと日常的なことを歌っているのです。日常の中にあるテレビには世界が映し出されていること。あるいは、庭で遊ぶ小鳥のこと、シンプルなラブソング、そんなことが歌われています。
実は、子どもがまだ赤ちゃんだったときには、よく子守唄がわりに、このアルバムに収録されていた「I Hear You Now」や「Love Is」、「One More Time」なんかを、セカンドアルバムの「Beside」などとともに歌ったりもしていましたっけ。
そして、こうした音楽をYesでもやりたかったというのが、当時のJonだったと思います。けれども、そのことでYesでのメンバー間の対立が生じてしまい、パリでのセッションはそのまま次のアルバムにはつながりませんでした。
そしてJonはソロとJon & Vangelisの活動を平行して続けることになります。

Jon自身があるインタビューで、最も好きな自分の曲として答えているのが、「State Of Independence」です。この曲はDonna Summerがカバーしていて、後で示すようにバックコーラスがとんでもなく豪華だったりします。それにJon自身もソロの作品としてシングルを出しています。そして、この曲が収録されているのが、81年にリリースされたJon & Vangelisのセカンドアルバム『The Friends Of Mr Cairo』でした。
このアルバムでは、より物語に対する指向性が強まっています。1曲目のタイトル曲、いかにもギャング映画という雰囲気でアルバムがスタートします。そして前述の独立国家、ラストの「The Mayflower」、そこでの物語は、明らかにアメリカを、自由の国、新大陸として意識したものになっています。その物語は、ハリウッドに反映されている、そういうものかもしれません。余談ですが、巽孝之氏はYes論の中でことさらSimon & Garfunkelのカバー「America」にこだわり、新大陸への想いを感じ取っているようですが、その展開がこのアルバムという位置付けも可能かもしれません。
そうした中でも、ぼくはJonにおける独立国家の意味を、このアルバムを通じて感じ取ってみる、そのことは悪くないんじゃないかって思うのです。それは、パンクロックによってアナーキーなコンセプトが示されたポップミュージックの世界において、では何を頼りにしていけばいいのか、それこそ、「自分自身が独立国家である」という想い、その自由さこそが、よりどころなのだと思うのです。Donnaのカバーでは、プロデューサーのQuincy Jonesによって、アメリカを代表するアーティスト(調べてみると、びっくりしますよ)が集められ、バックコーラスに参加させていますが、そのことはJonの想いに対するQuincyの解釈だったのでしょう。そしてそのことは、この曲を聴くぼくたちにも問いかけられていると思います。







