イエス・ミュージックの夜13 トレバー・ラビンとトーク
バンドに対してどれほど献身的なはたらきをしても、それが成功から遠ざかっていくというのは、とてもつらいことだと思います。トレバー・ラビンは新しいイエスの「ロンリー・ハート」という曲で大成功を収めますが、彼がイエスとしてやりたいことができるようになるまで、10年以上の時間がかかりました。そしてそれは成功をもたらしたわけではなかったのです。それでも前に進むということの大切さを感じさせてくれるのが彼です。
Trevor Rabinは1954年生まれ、南アフリカ出身です。Rabbittというバンドを経て、ソロに転向、イギリスに渡ってセッションミュージシャンとして活躍しながら、やがてChris Squire、Alan White、Tony Kayeとともにバンドを結成し、それがJon Andersonの参加によってYesとして復活し、1983年の『90125』という大ヒットにつながっていきます。
ですが、Trevor RabinにおけるYesの1枚を選ぶとしたら、1994年の『Talk』だと思います。というのは、このアルバムで初めて、Rabin-Andersonというコンポーザーが成果を残したからで
す。
Trevor Rabinにとって、JonとともにYesの音楽を作り上げていく作業というのは、とても遠いものでした。『90125』というアルバムは、ほとんど完成していたCinemaというバンドに、最後の段階でJonが参加したというものでした。このバンドはファンの間では、後に発表されるライブビデオ/アルバムのタイトル『9012Live』をもじって、9012YESとよばれるようになりますが、Trevor Rabin自身もまた、Yesとは別のバンドだととらえていたところもあるようです。
続く、88年の『Big Generator』のレコーディングは困難を極めました。レコーディング場所はイタリア、ロンドン、ロスアンゼルスと場所が変わっていきますし、プロデューサーは当初は前作同様にTrevor Hornだったのですが、意見の対立から降りてしまい、Trevor Rabinがすべて引き受けることになります。メンバー間の意見の対立もはげしく、Jonは「『Close To The Edge』以来のエキサイティングなアルバムになりそうだよ」と言ったかと思うと、「みんな話を聞いてくれない」と言って出て行ってしまったりもしました。このアルバムからの最初のシングルカットはTrevor Rabinの「Love Will Find A Way」でしたが、Jonはこの曲に対して「人を飛翔させる曲ではない」と批判的でした。前作以上にハード・ポップだったし、いい曲も多いのですが、Trevor RabinはJonとまともに共作したとは言えず、ツアー後にJonは脱退してしまいます。
その後、ABWHや8人Yesを経て、再び9012Yesに戻りました。最初はRick Wakemanも参加した6人Yesの予定だったのですが、結局Rickも脱退しています。Trevor RabinはRickと演奏したかったのですが、それが実現するのは、Rickの99年の『Return To The Centre Of The Earth』まで待たなければいけませんでした。
8人Yesを経ることで、Trevor RabinとJonはようやく分かり合えたのかもしれない、と思うのです。『Union』という8人Yesのアルバムにおいて、9012Yesの「Lift Me Up」という曲は、人を飛翔させる音楽に近づいていたと思います。同時に、JonはTrevor Rabinのポップなセンスを認めなくてはいけなかったのでしょう。
8人Yesのツアー後、Yesは新しいレコード会社との契約の下、レコーディングを開始します。場所はTrevor Rabinの自宅スタジオ、録音にはテープを使わず、ハードディスクを使用するというものでした。収録された曲は全7曲、うち5曲がこの二人による共作になっています。1曲はJonとChrisによるもの、そしてもう1曲はYesとしては不本意にも、かつてJonが脱退した後の9012Yesのボーカリストとして迎えられるはずだった、元Super TrumpのRodger HodgsonとTrevor Rabinの曲が、レコード会社の要望で入れられました。全体として、本当に聴きやすいメロディを持った、上質なハード・ポップになっていて、アルバムの統一感という意味でも、よくできていると思います。
シングルカットされた「The Calling」も悪くはないのですが、何と言っても、「Close To The Edge Part2」とまで言われた久々の大作「Endless Dream」が最大のハイライトかもしれません。また、Jonはこのアルバムの中では、「I Am Waiting」を気に入っているようで、35周年記念のツアーのときのセットリストに加えたかったらしいのですが、他のメンバーに反対されて断念した、ということもありました。Jonはこのアルバムの制作にあたって、Yesを理解したTrevor Rabinというのを待っていたのかもしれません。また、Chrisはこのときのことについて、「Trevor Rabinというのは、このバンドに12年もいるのに、Jonと共作する機会がずっとなかったんだから、かわいそうだった」と話しています。
ですが、Trevor RabinにおけるYesの1枚を選ぶとしたら、1994年の『Talk』だと思います。というのは、このアルバムで初めて、Rabin-Andersonというコンポーザーが成果を残したからで
す。
Trevor Rabinにとって、JonとともにYesの音楽を作り上げていく作業というのは、とても遠いものでした。『90125』というアルバムは、ほとんど完成していたCinemaというバンドに、最後の段階でJonが参加したというものでした。このバンドはファンの間では、後に発表されるライブビデオ/アルバムのタイトル『9012Live』をもじって、9012YESとよばれるようになりますが、Trevor Rabin自身もまた、Yesとは別のバンドだととらえていたところもあるようです。続く、88年の『Big Generator』のレコーディングは困難を極めました。レコーディング場所はイタリア、ロンドン、ロスアンゼルスと場所が変わっていきますし、プロデューサーは当初は前作同様にTrevor Hornだったのですが、意見の対立から降りてしまい、Trevor Rabinがすべて引き受けることになります。メンバー間の意見の対立もはげしく、Jonは「『Close To The Edge』以来のエキサイティングなアルバムになりそうだよ」と言ったかと思うと、「みんな話を聞いてくれない」と言って出て行ってしまったりもしました。このアルバムからの最初のシングルカットはTrevor Rabinの「Love Will Find A Way」でしたが、Jonはこの曲に対して「人を飛翔させる曲ではない」と批判的でした。前作以上にハード・ポップだったし、いい曲も多いのですが、Trevor RabinはJonとまともに共作したとは言えず、ツアー後にJonは脱退してしまいます。
その後、ABWHや8人Yesを経て、再び9012Yesに戻りました。最初はRick Wakemanも参加した6人Yesの予定だったのですが、結局Rickも脱退しています。Trevor RabinはRickと演奏したかったのですが、それが実現するのは、Rickの99年の『Return To The Centre Of The Earth』まで待たなければいけませんでした。8人Yesを経ることで、Trevor RabinとJonはようやく分かり合えたのかもしれない、と思うのです。『Union』という8人Yesのアルバムにおいて、9012Yesの「Lift Me Up」という曲は、人を飛翔させる音楽に近づいていたと思います。同時に、JonはTrevor Rabinのポップなセンスを認めなくてはいけなかったのでしょう。
8人Yesのツアー後、Yesは新しいレコード会社との契約の下、レコーディングを開始します。場所はTrevor Rabinの自宅スタジオ、録音にはテープを使わず、ハードディスクを使用するというものでした。収録された曲は全7曲、うち5曲がこの二人による共作になっています。1曲はJonとChrisによるもの、そしてもう1曲はYesとしては不本意にも、かつてJonが脱退した後の9012Yesのボーカリストとして迎えられるはずだった、元Super TrumpのRodger HodgsonとTrevor Rabinの曲が、レコード会社の要望で入れられました。全体として、本当に聴きやすいメロディを持った、上質なハード・ポップになっていて、アルバムの統一感という意味でも、よくできていると思います。シングルカットされた「The Calling」も悪くはないのですが、何と言っても、「Close To The Edge Part2」とまで言われた久々の大作「Endless Dream」が最大のハイライトかもしれません。また、Jonはこのアルバムの中では、「I Am Waiting」を気に入っているようで、35周年記念のツアーのときのセットリストに加えたかったらしいのですが、他のメンバーに反対されて断念した、ということもありました。Jonはこのアルバムの制作にあたって、Yesを理解したTrevor Rabinというのを待っていたのかもしれません。また、Chrisはこのときのことについて、「Trevor Rabinというのは、このバンドに12年もいるのに、Jonと共作する機会がずっとなかったんだから、かわいそうだった」と話しています。









