イエス・ミュージックの夜11 トレバー・ホーンとロンリー・ハート
トレバー・ホーンは79年の大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」で知られているバグルスのメンバーでした。テクノポップのデュオは80年に、ジョン・アンダーソンとリック・ウエイクマンが脱退したイエスに加入します。しかし、それは成功しませんでした。トレバー・ホーンがイエスで成功するのは、再結成時アルバム「ロンリー・ハート」のプロデュースによってです。それはバグルス・イエスのアルバム「ドラマ」以上のドラマでした。
新しいビジネスで華やかな成功を遂げた人が、老舗の経営者として迎えられるも、成果を出せずにそこを去ってしまう。ありそうな話です。実際に、実在のビジネスマンを思い浮かべる人も少なくないでしょう。そして、音楽の世界で、まったく同じことになってしまったのが、Yesの二代目ボーカリストのTrevor Hornです。もっとも、Trevor Hornの場合、そこから立ち直って、より大きな成功を収めることになるのですが。

1970年代末、パンクムーブメントの次にやってきたのが、テクノムーブメントでした。パンクが破壊してしまった現在を起点に、まったく新しい現在を演奏しようとした、テクノはそうした動きだと思います。ギター、ベース、ドラムス、それに多彩なキーボード、それらを演奏するということではなく、それは与えられた道具だし、それは、音楽を製作する上でのインターフェイスの部分にすぎない、ということです。
人間の声ですら、いくらでも加工できるし、演奏が下手でもきちんと打ち込みができればいい、そうして音楽をつくることができるということなのです。
そうして誕生したテクノポップにおいて、とりわけ「Radio Killed The Video Star」というヒット曲は、30年後の現在、もはやクラシックとなっています。この曲が当時、どれほどオンエアされたのか、覚えている人は多いでしょう。
演奏していたのは、Bugglesという二人組。正確には、もっとメンバーがいるのですが、フロントに立っているのは、ベースとボーカルを担当したTrevor Hornとキーボードを担当したGeoffrey Downsです。
ファーストアルバムのタイトルは『The Age Of Plastic』、プラスチックの未来です。それは、あらゆる人工物に囲まれた未来です。収録された曲には、「鉄腕アトム」や「月光仮面」を題材にしたものもありました。80年代のSF小説の大きなムーブメントとなったサイバーパンクの古典William Ford Gibsonの「ニューロマンサー」に取り込まれたジャパネスクすら思い起こさせます。

Bugglesは曲のヒットに対して、ライブはしないのか? と聞かれます。もちろん、スタジオで構築された音をどれほどライブで再現できるのか、ということはありますが。
けれども二人はこれを否定しませんでした。「バンドを組んでするかもしれない」と答えていたのです。そのバンドがどういうものなのか、わかりませんし、本気だったのかどうかもわかりません。けれども、確かにバンドのメンバーとなり、ツアーを行いました。
その頃、Yesは『Tormato』に続くアルバムの製作のためにセッションを繰り返したあげく、音楽的な対立から、Jon AndersonとRick Wakemanが脱退してしまいました。そして、残された3人、Chris Squire、Steve Howe、Alan Whiteの3人がセッションを続けていたということです。そしてそこに、YesのマネージャーがBugglesの二人をはめこんでしまったのです。
たまたま、BugglesはYesのファンだったとも言います。Trevor Hornは『Time And A Word』が、Geoffreyは『The Yes Album』が好きだったと、当時話していました。つまりは、昔のYesの音だということです。そうしてレコーディングは進められました。そうして出来たのが、『Drama』というアルバムでした。ジャケットは再びRodger Deanが描き、ロゴはわずかに新しくなっています。それは本当にYesらしいアルバムでしたし、同じ頃にリリースされたJonの『Song Of Seven』の軽くてポップなものとは全く異なっていました。
そしてYesはツアーを開始します。しかし、Trevor Hornは『Drama』の曲だけを歌うわけにはいかないのです。「Roundabout」も「And You And I」も歌わなくてはいけないのです。Chrisが積極的にボーカルをサポートしましたが、けれどもそこにはファンが期待したYesはなかったのです。
本当に、Trevor Hornは歌を覚え、ハイトーンのボーカルをコピーしようとしました。けれども、そうした努力もむなしく、酷評され、傷ついていきます。

ツアーを終えたTrevor HornとGeoffreyはBugglesを再開させます。しかし、レコーディングの途中でGeoffreyはSteveとともにAsiaを結成するために脱退し、新たなメンバーとともにレコーディングが続けられます。そうして完成したのが、『The Adventure In Modern Recording』でした。しかし、このアルバムはほとんどヒットせず、Asiaで成功したGeoffreyとは対照的に、Trevor Hornは表舞台から去り、プロデュース業に専念します。

1970年代末、パンクムーブメントの次にやってきたのが、テクノムーブメントでした。パンクが破壊してしまった現在を起点に、まったく新しい現在を演奏しようとした、テクノはそうした動きだと思います。ギター、ベース、ドラムス、それに多彩なキーボード、それらを演奏するということではなく、それは与えられた道具だし、それは、音楽を製作する上でのインターフェイスの部分にすぎない、ということです。
人間の声ですら、いくらでも加工できるし、演奏が下手でもきちんと打ち込みができればいい、そうして音楽をつくることができるということなのです。
そうして誕生したテクノポップにおいて、とりわけ「Radio Killed The Video Star」というヒット曲は、30年後の現在、もはやクラシックとなっています。この曲が当時、どれほどオンエアされたのか、覚えている人は多いでしょう。
演奏していたのは、Bugglesという二人組。正確には、もっとメンバーがいるのですが、フロントに立っているのは、ベースとボーカルを担当したTrevor Hornとキーボードを担当したGeoffrey Downsです。
ファーストアルバムのタイトルは『The Age Of Plastic』、プラスチックの未来です。それは、あらゆる人工物に囲まれた未来です。収録された曲には、「鉄腕アトム」や「月光仮面」を題材にしたものもありました。80年代のSF小説の大きなムーブメントとなったサイバーパンクの古典William Ford Gibsonの「ニューロマンサー」に取り込まれたジャパネスクすら思い起こさせます。

Bugglesは曲のヒットに対して、ライブはしないのか? と聞かれます。もちろん、スタジオで構築された音をどれほどライブで再現できるのか、ということはありますが。
けれども二人はこれを否定しませんでした。「バンドを組んでするかもしれない」と答えていたのです。そのバンドがどういうものなのか、わかりませんし、本気だったのかどうかもわかりません。けれども、確かにバンドのメンバーとなり、ツアーを行いました。
その頃、Yesは『Tormato』に続くアルバムの製作のためにセッションを繰り返したあげく、音楽的な対立から、Jon AndersonとRick Wakemanが脱退してしまいました。そして、残された3人、Chris Squire、Steve Howe、Alan Whiteの3人がセッションを続けていたということです。そしてそこに、YesのマネージャーがBugglesの二人をはめこんでしまったのです。
たまたま、BugglesはYesのファンだったとも言います。Trevor Hornは『Time And A Word』が、Geoffreyは『The Yes Album』が好きだったと、当時話していました。つまりは、昔のYesの音だということです。そうしてレコーディングは進められました。そうして出来たのが、『Drama』というアルバムでした。ジャケットは再びRodger Deanが描き、ロゴはわずかに新しくなっています。それは本当にYesらしいアルバムでしたし、同じ頃にリリースされたJonの『Song Of Seven』の軽くてポップなものとは全く異なっていました。
そしてYesはツアーを開始します。しかし、Trevor Hornは『Drama』の曲だけを歌うわけにはいかないのです。「Roundabout」も「And You And I」も歌わなくてはいけないのです。Chrisが積極的にボーカルをサポートしましたが、けれどもそこにはファンが期待したYesはなかったのです。
本当に、Trevor Hornは歌を覚え、ハイトーンのボーカルをコピーしようとしました。けれども、そうした努力もむなしく、酷評され、傷ついていきます。

ツアーを終えたTrevor HornとGeoffreyはBugglesを再開させます。しかし、レコーディングの途中でGeoffreyはSteveとともにAsiaを結成するために脱退し、新たなメンバーとともにレコーディングが続けられます。そうして完成したのが、『The Adventure In Modern Recording』でした。しかし、このアルバムはほとんどヒットせず、Asiaで成功したGeoffreyとは対照的に、Trevor Hornは表舞台から去り、プロデュース業に専念します。








