生存率20%の癌から復活したランス・アームストロング
誰でも困難が続くと、「なんて自分は不幸なんだ」とか「この辛さから逃げ出したい」と考えてしまうことがある。
時には「自分は今、世の中で最も不幸な人間に違いない」とまで思い込む人もいるだろう。
昨今、新聞やテレビでも、「むしゃくしゃしたから」「仕事が上手くいかないから」という大したことのない理由で、人生や命を粗末にしてしまうニュースを多く目にする。
そこで私は感じるのだ。
人生なんて苦しいことのほうが多い。でも苦しみや悩みを感じるのも生きている証拠。
乗り切れば必ず報われるし、困難を乗り越えることこそ、自分が成長するキッカケになるんだ、とうことを。
そして今回、困難にぶち当たった時や、辛い出来事に直面しヘコンダ時に、思い出しては勇気を得る人物について、そしてそこから自分が学んだ大切なことについて語ってみたい。
癌との壮絶な闘病生活後に、前人未踏のツール・ド・フランス7連覇を果たしたアメリカ人だ。
<生存率20%の睾丸癌を発病>
ランス・アームストロングは1971年にアメリカ、テキサス州に生まれた。 中学から高校生のときにトライアスロンの全米ジュニア選手権で優勝するなど、ずば抜けた持久力で将来を嘱望され、高校卒業後からは本格的に自転車レースに参加するようになり、21歳の時、史上最年少で自転車の世界選手権で優勝。
1995年、24歳の時にはツール・ド・フランスでステージ優勝を遂げるなど、順調に世界の一流自転車選手の道を歩みはじめたが、1996年アトランタオリンピック出場後の10月、25歳の時に、睾丸癌(こうがんがん)を発病してしまう。
しかもがん細胞は、肺や脳にも転移しており生存確率は50%と医師から告げられてしまう。
(後に、この医師は生存する希望をもってもらうつもりで嘘をついていて、実際にはもっと低く20%以下だったと告白している)
アームストロングは何人かの医者から、あらゆる治療法を提案されたが、結局、インディアナ大学で脳の転移部分を切除し、完治後に再び自転車レースができるよう、心肺機能へのダメージは少ないが、過酷な化学療法を施す治療を選択し、数ヶ月のリハビリののち回復。
再発の危険性はあるものの、小康状態になったという診断結果を受けて、トレーニングを再開する。
しかし、ここから数々の苦難が彼を迎えることになる。
<マウンテンバイクに乗った、中年の女性に抜かれてしまう>
化学療法も終わり体力回復のため、自宅近所を自転車で乗り始めた矢先、突然後ろから誰かが近づいてきた。 それは、重いマウンテンバイクに乗った50代の女性で、高性能のロードバイクに乗ったアームストロングを軽快に追い越していってしまったそうである。
世界選手権で優勝した自分が、女性にも抜かれてしまうほど体力が衰えている現実に大きなショックを受けてしまう。
しかも、癌を発病するまで所属していたフランス国籍のチーム「コフィデス」から契約を解除されてしまう。
まるで、「癌を患った選手はもう使いものにならない」と言わんばかりに冷酷なものであったそうで、後年アームストロングはこの時のコフィデスの冷酷な対応に怒りを覚えると同時に、いつかツール・ド・フランスで総合優勝を果たし、見返してやると誓った、と語っている。
その他にも、男性機能がなくなったことをパーティの席上で馬鹿にされたり、周囲の対応は非常に冷たいものであった。
その後、化学療法の後遺症に悩まされながらも、一年以上リハビリとトレーニングを続け、1997年に新たに結成されたアメリカ国籍のUSポスタル・サービスと契約し、1998年、2年ぶりとなる自転車界復帰を果たした。
そして同年、世界3大自転車レースの一つ「ブエルタ・ア・エスパーニャ(*)」で総合4位に入り、復活をアピールした。
このレースは世界3大レースの中で最も過酷と言われ、復帰後このレースで4位になったことは大きな自信になった。
50代の女性に抜かれてからわずか一年後の快挙だ。
そして翌年1999年にツール・ド・フランスに3年ぶりに出場し、闘病後わずか2年余りにも関わらず初めての総合優勝を果たす。 そしてこの年から2005年までの7年連続総合優勝という前人未踏の大記録を打ち立てるのである。
* ブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン)
⇒ツール・ド・フランス(フランス)、ジロ・デ・イタリア(イタリア)と並ぶ世界3大自転車レースの一つ。23日間でスペイン国内、総走行距離3700キロ余りを走破する。このレースの特徴は、3大レースの中で最も過酷な山岳ステージに強風と、凍えるような寒さで、年によっては出場選手の半分近くがレース途中でリタイヤする過酷なレース。





