愛車

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2007/10/24

旧車趣味のススメ

さて、お前の好きな旧車はマイナーでヘンテコリンな格好のクルマばかりで、「いつになったらフェラーリやポルシェは出てくるんだ。」と叱られそうですが、実は私の趣味がどうしてもそんなクルマに偏っていてスミマセン。

次回からブログを刷新して、華やかなスポーツカーにスポットを当てていく予定ですのでご期待ください。

ここで、初回に投げかけた、フェラーリとポルシェ、両方のエンブレムに描かれている「跳ね馬」のエピソードを解決しておきましょう。

実はこの「跳ね馬」のマークは、元を正せばドイツはシュツットガルト市の紋章なのです。

※中央がドイツ、シュツットガルト市の紋章


そのいきさつを簡単に話すと、フェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリがまだアルファロメオでレースをしていた頃、1923年ラヴァンナ郊外、サヴィオ・サーキットの第一回レース大会で圧勝します。
その時、エンリコ・バッカラ伯爵に出会います。
その伯爵の息子、フランチェスコ・バッカラは、第一次世界大戦では34機のドイツ軍機を撃ち落した「撃墜王」でしたが、あるとき空中戦で戦死してしまいます。

そしてその母親であるパオリーナ・バッカラ伯爵夫人が、「フェラーリ、あなたのレーシング・マシーンに息子の跳ね馬のマークを付けたら、きっと運が向くわよ。」と言って、例のマークの使用を許し、後年エンツォ・フェラーリはこの黒い跳ね馬にモデナ市の色、金地を加えた、とされています。

しかし、このマークはその時にはイタリア空軍スクーデリア91a部隊のもので、バッカラ家個人のものではなかった、ということです。
でも、、エンツォ・フェラーリのお兄さんがこの部隊にいたことも関係していたのでは?とも想像されます。

そして、もともとこの跳ね馬マークは、バッカラが1916年の空中戦で撃墜した一機のドイツ軍機が付けていたものを、自分の機体に描いたものだったのです。
この、撃墜された戦闘機に乗っていたパイロットはシュツットガルト市の出身で、故郷の市のマークを付けていた、というわけだったのです。

時は流れ、ポルシェはシュツットガルト市で誕生したため、ポルシェにも市の紋章が描かれている、というわけです。

こうして皮肉なことには、生涯の宿敵となるポルシェに加え、メルセデス・ベンツもシュツットガルトを総本山としていることです。

その後、エンツォ・フェラーリが、スクーデリア・フェラーリ(=レーシング・チーム)を立ち上げ、はじめて「跳ね馬」マークを付けたアルファロメオ8Cを走らせたのが1932年のベルギー、スパ・フランコルシャン24時間レースで、フェラーリ・チームは1−2フィニッシュを飾ったのです。

また、フェラーリがこのエンブレムを商標登録するとき、シュツットガルト市とひと悶着を起こしているようです。
(以上、参考文献:集英社文庫「エンツォ・フェラーリ」より)






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