フェラーリは、F−1を戦うためにスポーツカーを売る
真っ赤なスポーツカーといえば、すぐに誰もがイメージするのがイタリアのフェラーリだ。
フェラーリは、世界中に数ある自動車メーカーの中でも特殊な存在である。
まず、スポーツカーしか作ってない。しかも高性能で高級、超高価なスポーツカーだけを。
何がすごいって、そもそもフェラーリは「レースを戦うため」に興した会社だからです。
特にF−1は、それが創設された1950年から現在に至るまで、ずっと参戦し続けています。
こんな記録はフェラーリ意外にはありません。
フェラーリは、スポーツカーを売った利益をすべてレースにつぎ込んできたのです。すごいです。
創設者はあの、エンツォ・フェラーリ氏です。
カリスマ性を帯びた彼に関するエピソードは、紙面がいくらあっても伝えきれないほどです。
兵役中、病気で生死の淵をさまよったエンツォ・フェラーリは、除隊後1920年、22歳であこがれのアルファロメオのテスト・ドライバーの座を手にします。
その後、レーサーとして活躍しますが、1929年に念願のスクーデリア・フェラーリ(=レーシング・チーム)を興します。そして自らがステアリングを握るのではなく、チーム・オーナーとしての才覚に目覚めます。
レースを戦いながら、そのマシーンも販売していたのです。
アルファロメオのサブ・チームという位置づけでしたが、1932年、スパ・フランコルシャンの24時間レースで初めてカヴァリーノ・ランパンテ(=フェラーリの「跳ね馬」マーク)を描いたアルファロメオを走らせ、優勝します。
(フェラーリの「跳ね馬」マークのエピソードは「男の旧車趣味12話」http://otokonokakurega.net/blog/car/94/entry910.html をご覧ください)

そして終戦後の1947年、ついにフェラーリ・オリジナルのスポーツカーがデヴューします。ティーポ125です。彼が49歳のときです。
次いで、1950年から始まるF−1にも参戦を始めます。
勿論それまで戦ってきた、ル・マンなどの耐久レース、タルガ・フローリオなどの国際格式のスポーツカー・レースなどでも真っ赤なフェラーリを走らせています。
ここで、なぜフェラーリのマシーンは「赤」かというと、国際レースではすでに国ごとに「ナショナル・カラー」が決められていたからです。
「イタリアン・レッド」、「ブリティッシュ・グリーン」、「フレンチ・ブルー」、「ジャーマン・シルバー」などがそうです。
同じ国の場合、例えばアルファロメオとフェラーリ、マセラッティなどは微妙に色が変えられたり、アクセント・ストライプなどで識別されています。
ですから、サーキットでは、どこの国の、どこのマシーンが走っているのか、誰もが一目で分かったのです。近年のF−1はスポンサー・カラーになってしまったのは残念ですが、フェラーリは今もって「赤い」のは立派です。
昔は戦争も関係して、国際レースでは「国威」を示す意味合いもたぶんにあったのです。まあ、オリンピックみたいなもんですね。
昔のスポーツカーはそのままでレースに出られる実力があり、またそうしたカテゴリーがありました。
お金持ちがフェラーリを買って、ちょっといじってレースをする、ということが可能だったのです。
1950〜60年代のル・マンでは、ありとあらゆるサイズ、カテゴリーのスポーツカーが大挙して出場していたのが、華やかでロマンをかきたてられます。
何がすごいって、そもそもフェラーリは「レースを戦うため」に興した会社だからです。
特にF−1は、それが創設された1950年から現在に至るまで、ずっと参戦し続けています。
こんな記録はフェラーリ意外にはありません。
フェラーリは、スポーツカーを売った利益をすべてレースにつぎ込んできたのです。すごいです。
創設者はあの、エンツォ・フェラーリ氏です。
カリスマ性を帯びた彼に関するエピソードは、紙面がいくらあっても伝えきれないほどです。
兵役中、病気で生死の淵をさまよったエンツォ・フェラーリは、除隊後1920年、22歳であこがれのアルファロメオのテスト・ドライバーの座を手にします。
その後、レーサーとして活躍しますが、1929年に念願のスクーデリア・フェラーリ(=レーシング・チーム)を興します。そして自らがステアリングを握るのではなく、チーム・オーナーとしての才覚に目覚めます。
レースを戦いながら、そのマシーンも販売していたのです。
アルファロメオのサブ・チームという位置づけでしたが、1932年、スパ・フランコルシャンの24時間レースで初めてカヴァリーノ・ランパンテ(=フェラーリの「跳ね馬」マーク)を描いたアルファロメオを走らせ、優勝します。
(フェラーリの「跳ね馬」マークのエピソードは「男の旧車趣味12話」http://otokonokakurega.net/blog/car/94/entry910.html をご覧ください)

そして終戦後の1947年、ついにフェラーリ・オリジナルのスポーツカーがデヴューします。ティーポ125です。彼が49歳のときです。
次いで、1950年から始まるF−1にも参戦を始めます。
勿論それまで戦ってきた、ル・マンなどの耐久レース、タルガ・フローリオなどの国際格式のスポーツカー・レースなどでも真っ赤なフェラーリを走らせています。
ここで、なぜフェラーリのマシーンは「赤」かというと、国際レースではすでに国ごとに「ナショナル・カラー」が決められていたからです。
「イタリアン・レッド」、「ブリティッシュ・グリーン」、「フレンチ・ブルー」、「ジャーマン・シルバー」などがそうです。
同じ国の場合、例えばアルファロメオとフェラーリ、マセラッティなどは微妙に色が変えられたり、アクセント・ストライプなどで識別されています。
ですから、サーキットでは、どこの国の、どこのマシーンが走っているのか、誰もが一目で分かったのです。近年のF−1はスポンサー・カラーになってしまったのは残念ですが、フェラーリは今もって「赤い」のは立派です。
昔は戦争も関係して、国際レースでは「国威」を示す意味合いもたぶんにあったのです。まあ、オリンピックみたいなもんですね。
昔のスポーツカーはそのままでレースに出られる実力があり、またそうしたカテゴリーがありました。
お金持ちがフェラーリを買って、ちょっといじってレースをする、ということが可能だったのです。
1950〜60年代のル・マンでは、ありとあらゆるサイズ、カテゴリーのスポーツカーが大挙して出場していたのが、華やかでロマンをかきたてられます。





