彼女の自宅ガレージで作ったロータスをF−1まで昇華させた男
ロータスも細々とスポーツカーだけを作り続けているメーカーです。
英国に多い、「バックヤード・ビルダー」からスタートしています。つまり、自宅の裏庭にあるガレージで、一台づつコツコツと作り出したのがその始まりです。
しかも、ロータスの場合は自宅ではなく、ガールフレンドの家のガレージだったっていうんですから、恐れ入ります。
その人の名は「コーリン・チャップマン」
まだ、彼がロンドン大学の学生のときです。
1948年、彼はまず、大古のオースチン・セブンの部品を使って一台のレーシング・カーを作りました。そして、ロータスMk−Iと名づけました。

やはり、オースチン・セブンから作った2台目のクルマで、チャップマン自らがドライブしてレースに出たら、強豪相手にあっさり優勝してしまいます。
その時から、コーリン・チャップマンはレーシング・カーに並外れたアイデアを持ち、自身の設計に取り入れていきました。
その基本は、徹底した「軽量化」と「空力」の追求です。
彼の信条とする、ヒラヒラとカーブを舞い、ハンドリングの気持ち良さと軽快感,、そして総合バランスの良さ、という「ライトウエイト・スポーツカー」の原点はすでにスタートからあったのです。・・・・・
3台目に作ったMk−III はひとクラス上のレースでも勝つほど、圧倒的な速さで連勝しました。
これで引き合いが殺到し、チャップマンはロータス・エンジニアリング社を興します。
時は1952年、彼は大学を卒業し、サラリーマンになっていましたが、しばらくは夜と週末をクルマに注ぐ、「二足のわらじ」生活が始まります。「工場」も馬小屋に昇格していました。
同じ年には、Mk−VIを100台以上も生産しています。このモデルが後の、有名なロータス・セブンに繋がっていくのです。
チャップマンの作ったクルマには、車名のある市販車もレーシング・カーも、すべて通し番号がつけられていきます。
日本人ドライバー初の中嶋 悟がドライブしたF−1、ロータス・ホンダ99Tは99番目の作品ということです。
また、クルマに自分の名前を付けないめずらしい例で、ロータスとは「ハスの花」の意味です。
これは、チャップマンが学生時代に東洋哲学に興味を持ち、仏教にも強く心惹かれていたため、初めてクルマを作ったとき、迷わず「LOTUS」と名付けたのだそうです。
昔から、レーシング・カーを作るものの夢として、当然、ル・マンへの挑戦がはじまります。
1956年、Mk−IXでは総合7位、1100ccクラス優勝を、翌57年には11(イレブン)がやはりクラス優勝しますが、59年に市販車のスポーツカー、初代エリートの総合8位、クラス優勝を最後に、オーガナイザー側との意見の対立からル・マンから撤退します。
1957年には、ロータスを一躍有名にした「セブン」と、流麗なクーペ・ボディをまとったライトウエイト・スポーツカー、「エリート」がデヴューします。
「セブン」は公道を走れるフォーミュラ・カーといわれるほど低く、シンプルで、その走りっぷりもフォーミュラ・マシーンのごとくにシャープです。
その低さは、スリムなボディと、ドアがないことで「マジ」に吸ったタバコを地面で消すことが出来ます。
また、当時は「組み立てキット」というカタチでも販売され、サイフの軽い若者達にもモータースポーツの楽しみを広げました。
その後、大きなエンジンとワイド・タイヤの「スーパーセブン」に発展、そろそろ生産終了しようとしたところ、当時セブンの販売店であったケーターハム社の強い要望で生産ラインごと譲り渡し、現在でも「ケーターハム・セブン」として新車で売られています。
「エリート」はやはりチャップマンらしく、世界で初の、シャーシーを含みオール・プラスティックのモノコック・ボディという斬新な設計でした。
その人の名は「コーリン・チャップマン」
まだ、彼がロンドン大学の学生のときです。
1948年、彼はまず、大古のオースチン・セブンの部品を使って一台のレーシング・カーを作りました。そして、ロータスMk−Iと名づけました。

やはり、オースチン・セブンから作った2台目のクルマで、チャップマン自らがドライブしてレースに出たら、強豪相手にあっさり優勝してしまいます。
その時から、コーリン・チャップマンはレーシング・カーに並外れたアイデアを持ち、自身の設計に取り入れていきました。
その基本は、徹底した「軽量化」と「空力」の追求です。
彼の信条とする、ヒラヒラとカーブを舞い、ハンドリングの気持ち良さと軽快感,、そして総合バランスの良さ、という「ライトウエイト・スポーツカー」の原点はすでにスタートからあったのです。・・・・・
3台目に作ったMk−III はひとクラス上のレースでも勝つほど、圧倒的な速さで連勝しました。
これで引き合いが殺到し、チャップマンはロータス・エンジニアリング社を興します。
時は1952年、彼は大学を卒業し、サラリーマンになっていましたが、しばらくは夜と週末をクルマに注ぐ、「二足のわらじ」生活が始まります。「工場」も馬小屋に昇格していました。
同じ年には、Mk−VIを100台以上も生産しています。このモデルが後の、有名なロータス・セブンに繋がっていくのです。
チャップマンの作ったクルマには、車名のある市販車もレーシング・カーも、すべて通し番号がつけられていきます。
日本人ドライバー初の中嶋 悟がドライブしたF−1、ロータス・ホンダ99Tは99番目の作品ということです。
また、クルマに自分の名前を付けないめずらしい例で、ロータスとは「ハスの花」の意味です。
これは、チャップマンが学生時代に東洋哲学に興味を持ち、仏教にも強く心惹かれていたため、初めてクルマを作ったとき、迷わず「LOTUS」と名付けたのだそうです。
昔から、レーシング・カーを作るものの夢として、当然、ル・マンへの挑戦がはじまります。
1956年、Mk−IXでは総合7位、1100ccクラス優勝を、翌57年には11(イレブン)がやはりクラス優勝しますが、59年に市販車のスポーツカー、初代エリートの総合8位、クラス優勝を最後に、オーガナイザー側との意見の対立からル・マンから撤退します。
1957年には、ロータスを一躍有名にした「セブン」と、流麗なクーペ・ボディをまとったライトウエイト・スポーツカー、「エリート」がデヴューします。
「セブン」は公道を走れるフォーミュラ・カーといわれるほど低く、シンプルで、その走りっぷりもフォーミュラ・マシーンのごとくにシャープです。
その低さは、スリムなボディと、ドアがないことで「マジ」に吸ったタバコを地面で消すことが出来ます。
また、当時は「組み立てキット」というカタチでも販売され、サイフの軽い若者達にもモータースポーツの楽しみを広げました。
その後、大きなエンジンとワイド・タイヤの「スーパーセブン」に発展、そろそろ生産終了しようとしたところ、当時セブンの販売店であったケーターハム社の強い要望で生産ラインごと譲り渡し、現在でも「ケーターハム・セブン」として新車で売られています。
「エリート」はやはりチャップマンらしく、世界で初の、シャーシーを含みオール・プラスティックのモノコック・ボディという斬新な設計でした。






